◇…建武元年(1334)、右大臣久我長通は後醍醐天皇の勅使として浅間大社へ下向し、鎌倉倒幕の戦勝報告と平安祈願をした。その帰途、長通は大晦日で仙痛の発作を起こし、付人・里人の看護のかいなく急逝。遺言により芭蕉天神宮が建てられ、長通の敬った菅原道真とともに祀られた。(『芭蕉天神宮由緒』)
◇…由比へ向う旧道ぞいに「久我大納言石」がある。うっすらと苔生した平らな大石で、いかにも古めかしい。発作を起こした久我長通が、馬上より下ろされ横たえられた石という。またいで通るとバチがあたり、合掌してお参りすれば御利益があるといわれる。
参考文献 芭蕉天神宮項と同じ
(フォト最終撮影日:芭蕉天神宮項と同じ)
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