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妙栄山法典寺(富士宮市青木)の移転計画を知った。いまのうちに現在のようすを撮影しておこうと思い立ち、法典寺を含めた青木の神社・仏閣を訪ねることにした。
ちなみにこの辺りは日蓮宗強勢につき、日蓮宗寺院と八幡宮ばかりなり。
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妙栄山法典寺
まずはお目当ての法典寺(日蓮宗/玉沢妙法華寺末)。11時45分。江戸の昔からここで活動してきたお寺だが、現在、市内山本への移転を計画している。
いまの境域は西ノ山のすそにあり、「急傾斜地崩壊危険区域」「土砂災害特別警戒地区」に指定されている。
堂宇はひどく荒れているものの、上記の理由により改築はかなわないため、こたび移転することになったという。(参拝前に移転予定地も見てきたが、まだ着工はされておらず)
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上行山安立寺
お次は安立寺。法典寺からやや南へ下ったところにある。11時56分。こちらも日蓮宗寺院で、旧本寺は西山本門寺。
本堂は元文5年(1737)建立。富丘地区における最も古い建造物とされる。明治期は小学校「新曦舎」の校舎としても用いられていた。
実に5年ぶりの参拝。なれども境内に変化はなく、ほっと一安心。本堂前で一礼し、一通り写真を撮り直し。
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八幡宮(下耕地)
続いて安立寺隣の八幡宮を参拝。12時8分。祭神は天照大御神、応神天皇。
口碑いわく、古くは西ノ山2113に鎮座していたが、慶長10年(1605)に遷座してきたという。現在、旧地には大山祇命を祀った石祠が建てられ、「古氏神様」と呼ばれ崇敬されているらしい。
こちらも5年ぶりの参拝。ごくささやかな社だが、青い竹林に抱かれていて、妙に趣がある。
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十頭森八幡宮
八幡宮(下耕地)を辞し、字見崎原鎮座の八幡宮へ。12時19分。こちらは、昔風にいえば青木村の村社にあたる。
江戸後期の諸地誌に「十頭森八幡宮」などと載り、古老はいまでも在地を十頭森(とうどのもり)と呼ぶそうだ。・・・由来は残念ながら知らない。
ここも久々なれど、これといった変化なし。シンボルである社殿屋根の神使(鳩)も健在。なお、手水舎に柿などが沈んでいた。イタズラなのか、はたまた意味(風習など)があるのか。分からないので、そのままにしておいた。
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日吉神社(下条)
続いて西ノ山八幡宮にいくつもりだったが、その前に下条日吉神社(浅間大社の旧摂社/旧郷社)へ寄り道。翌日が例祭なので、なにかそれらしい景色を撮影できれば、と考えて。12時44分。
思惑通り、まつりの準備は万端といったところ。幟や幕、きれいにならされた土俵などの写真をGET♪。いつか例祭本番の写真も撮りたい。
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続いて字西ノ山の八幡宮へ向う。この社は大石寺の参詣に使われた古い道ぞいに鎮座しており、その道の方々には道しるべや道祖神、題目塔が点在している。(写真左の道しるべには「左大石寺道」「右馬見塚村道」とある)
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八幡宮(西ノ山)
13時3分、西ノ山の八幡宮に到着。祭神は応神天皇。旧社格は無格社。
古くから青木・坂下集落と馬見塚・小屋敷集落によって祀られ、こんにちの氏子は青木12戸、馬見塚12戸だという。
道ばたの鳥居をくぐって暗い林の中の石段を上がると社殿がある・・・のだが、大きな石祠が石段を塞ぐように建っている。祠は今月建てられたばかり。なぜ??。
怪訝に思いつつ祠を避けて石段を上がった。すると、この石段が存外きつい。1段の幅が狭く、しかも急で、手すりはついているものの、気をぬけば反りかえりそうで怖い。
階下の石祠は、参拝の便――石段を上がることができない人のこと――を考えたのかもしれないな、とふと思った。
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林正山妙善寺
続いて妙善寺。13時27分。ここもやはり日蓮宗である(身延久遠寺末)。
室町期の永正11年8月、久遠寺13世日伝の弟子林正院日躰が開創したとされる。現在の本堂は昭和56年改築。
境内に市内最大のシダレザクラがある。まぁ、この時期は変哲もない風景なのだけど。寺域はやや小高い場所にあり、視界の開けた駐車場からは富士山を一望できる……はずなのだけど、わたしが参拝するときはいつも雲の中。無念。
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八幡宮(明善谷戸)
お次は字明善谷戸の八幡宮。13時39分。「八幡宮」「須度神社」「須度八幡宮」などと称されているらしい。
西ノ山より遷座した社らしいが、手もとの史料乏しく、また詳しい縁起も伝えられていないことから、「なにも分からない」のが実情。
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青木めぐりの最後は、青木寄合の熊野神社を参拝予定だった。しかし、境内に人が大勢いたため、この日は泣く泣く回避。
その後、図書館を経て野中大泉寺へ向うことに。今月27日(土)に行うお会式の詳しいスケジュールが分かれば、と。
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妙覚山大泉寺
大泉寺(日蓮宗)に着いた途端、ひどく驚かされた。山門がない。跡形もなく、それはもう、きれいさっぱりと消えていた。どうやら建て替えらしい。
山門は万治3年(1660)建立で、同寺最古の建造物だった。平成になって本堂は改築されたものの、山門はそのままだったから、てっきり大切に保存していくものと思っていたのだけど…。華やいだ少女のようにかわいい門だっただけに、個人的にはかなり残念。
ま、こうなったら新たな山門に期待。基礎や案内板を見るかぎり、木造の四脚門だろうか。立派な本堂に負けない建築となりそうで、こと景観のつり合いに関しては、旧山門よりも優れそう。