大晦日の道しるべ
◇・・・JR芝川町からおよそ8km。山深い大晦日(富士宮市内房)の道ばたに、古い道しるべがある。素朴な自然石に「左天神 ミち 右由井」と大きく刻まれている。建立年月は「弘化三丙午卯月日(1846年4月)」、石工は信州高遠荊口の与吉衛。
◇・・・銘文の「天神」は大晦日の産土神・芭蕉天神宮で、「由井」は東海道由比宿を指す。道しるべのたつ道は、由比と大晦日―やその先の大宮、甲斐―をむすぶ内房街道(入山街道)。いまでこそ人の往来はまれだが、往時は「塩の道」として重宝され、行商の人馬たちが盛んに往来していたらしい。
大晦日の猿田彦太神塔
◇・・・富士宮市内房の山間部、芭蕉天神宮の参道に猿田彦太神塔がある。高さ約54cm、幅約19cmの角柱型文字塔で、文政5年(1822)7月16日の銘がある古い塔だ。参道脇の草むらに隠れ、まったく目立たない。
◇・・・猿田彦は『記紀』に登場する国津神で、邇邇芸命を道案内したことから「導きの神」「道の神」として信仰されている。芭蕉天神宮のそばには由比から大宮、甲斐へ至る「塩の道」が通り、塔の側面には「東海道由比宿江二里半」「内房本村つる橋 當國一ノ宮大宮浅間 富士郡 甲府 身延」の銘文がある。道案内の神として祀られ、往時は道標も兼ねていたのだろう。
芭蕉天神宮 本殿
◇・・・芭蕉天神宮(富士宮市内房)の本殿は、明治13年12月に再建された。ケヤキの素木を用いた流造りで、大工は伊豆の後藤芳治郎とされる。割合新しい建物ながら、向拝彫刻がすこぶる優れ、芝川町時代は町文化財に指定されていた。
◇・・・頭貫や海老虹梁を丸ごと使い、鳳凰や麒麟、竜を大胆に彫り込んでいる。近在に類をみない豪壮な出来栄えだ。一部木鼻がなく、いまだ完成していないようだが、それでも山深いこの地でよくぞこれだけの社殿を造ったものだと、ただ感嘆させられる。
芭蕉天神宮
名称 | 芭蕉天神宮 | ||
所在 | 静岡県富士宮市内房字大晦日5820 | ||
祭神 | 菅原道真 久我長通 | ||
創建 | 伝:建武元年(1334) | 例祭 | 旧暦1月25日 |
敷地 | 347坪 | 神紋 | 星梅鉢(社殿) |
社格 | 旧無格社 | 備考 | 社殿(旧芝川町文化財) |
神徳 | 学問成就、身体健全、家業繁栄ほか | ||
交通 | JR芝川駅より7.5km 駐車可能 |
久我大納言石
◇…建武元年(1334)、右大臣久我長通は後醍醐天皇の勅使として浅間大社へ下向し、鎌倉倒幕の戦勝報告と平安祈願をした。その帰途、長通は大晦日で仙痛の発作を起こし、付人・里人の看護のかいなく急逝。遺言により芭蕉天神宮が建てられ、長通の敬った菅原道真とともに祀られた。(『芭蕉天神宮由緒』)
◇…由比へ向う旧道ぞいに「久我大納言石」がある。うっすらと苔生した平らな大石で、いかにも古めかしい。発作を起こした久我長通が、馬上より下ろされ横たえられた石という。またいで通るとバチがあたり、合掌してお参りすれば御利益があるといわれる。
内房山 祥禅寺
![]() 祥禅寺本堂 |
名 称 祥禅寺 (山号:内房山)
所 在 静岡県富士郡芝川町内房字廻沢4069
宗 派 臨済宗妙心寺派
創 建 不詳 本 寺 興津清見寺
開 基 禅鉄和尚 開 山 徳林西堂和尚
本 尊 聖観世音菩薩 鎮 守 子安地蔵堂
備 考 木造韋駄天立像(町文)
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