勇壮な炎の祭典 遠州新居町「煙花みのわ」に師事
文珠堂は寛文11年(1671)、山梨・市川大門にあった旧堂を移したことに始まる。昭和15年に焼失したが、白糸小学校の奉安殿を移して再建。同17年8月19日、上野大石寺62世が塔中僧10余名をともない、入仏落成式を修した。以来、8月19日を祭典と定め、昭和63年からは駿州白糸原手筒花火保存会が手筒花火を奉納。勇壮な夏祭りとして、近郷にひろく知られるようになった。
夕暮れ時、大筒やぐらのひきまわしで祭典開始。境内には「原文珠太鼓」が響き、7時20分から文珠堂前で「子ども手筒花火」が行なわれた。8時過ぎ、保存会員らが「だせだせだせよぅ!」の掛け声も勇ましく境内に練り込み、種火授受、清めの儀などを経て、手筒花火へ。脇に抱えられた筒から「ザーーー」と音をたてて火柱が噴き上がり、煙と火薬臭が立ち込めた。会員たちは舞い落ちる火の粉をあびながらパフォーマンスを続け、約25分間にわたって夜空を彩った。
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参考文献 境内石碑、富士郡村誌、白糸村誌、白糸をめぐる郷土研究、岳南朝日 |
(フォト撮影日:平成21年8月19日) |