富士川第二小学校と第二中学校が向かい合う旧道の辻を山手へ進み、急坂を上ると小さな神社につく。原方の白鬚神社だ。ロール状に整えた茶畑の奥に、緑濃い山林を負って鎮座している。
境内の由緒書は、後花園天皇の御代(1428~64)、土地や屋敷の守護神として祀られたのではないか、と推察している。
ただし資料乏しく、由緒書の裏付けは得られていない。江戸期の諸地誌はおろか、『松野村誌』や『富士川町史』など近現代の主なる郷土資料に、社名すら載っていない。
もっとも、灯籠や幟台が江戸中期~後期に奉献されているから、そのころにはある程度の規模を有していたのは間違いない。
また境内に推定樹齢400~500年のオガタマノキがある。オガタマは招霊(おきたま)が転じたとされ、神霊を招く木として各地の神社に植栽されている。当社のそれも植樹したに違いなく、神社自体も相応の年月は経ているのだろう。
祭神
主祭神は猿田彦大神。
天降った邇々杵尊の道案内をしたことから「道の神」として知られ、近江の白鬚神社(白鬚神社の根本社)では白鬚の老翁姿で示現し、「延命長寿の神」として信仰されている。
また神道系庚申の主神でもある。この界隈も庚申信仰が盛んだったから、あるいは当社も庚申信仰に端を発した――例えば廃仏毀釈までは庚申堂だったなどの――可能性もありそう。
神域は集落の最奥部にあり、神社の後ろは山林がひたすら続いている。その山林を穿って林道粒良野八棟線が通っており、神社は林道の起点に位置する。ちなみに、薄暗い林道を3.2kmばかりゆくと粒良野集落があり、富豊七神社が鎮座している。
神域遠景
まぶしいほどに白い鳥居をくぐり、40mほど歩けば、オガタマノキの古木が象徴的にそそりたち、その奥に黒い屋根をのせた覆屋が建っている。覆屋は昭和44年建立の鉄筋コンクリート製で、中に小さな社殿がふたつ。向かって右側が白鬚神社のようだ。
神木の下に古びた水盤
山林を負う覆屋。昭和44年建立
オガタマノキは白鬚神社の御神木。推定樹齢400~500年の古木である。太い幹は大きく傾ぎ、添え木でどうにか支えられている。うろができ、途中で折れているようにも見えるものの、広げた枝には葉を豊かに茂らせ、十分な樹勢を示していた。