厚原北区の八笠(やがさ)に鎮座。社名が示すように「風祭」と結びついた社と考えられ、こんにちは風の神、志那都比古神・志那津比賣神を祭祀している。かつて参拝後、松明をともして帰り、夜松明を持って田のまわりを歩くと豊作になった、と伝えられている。
祭神は志那都比古神・志那津比賣神
創建年月は不詳ながら、石祠に「元禄十四歳(1701)辛巳九月」「松風庄 厚原村」の銘があるから、相応の歴史を有するようだ。口碑によれば、厚原樋泉郷の杉山氏が永禄12年(1569)、武田信玄の許しを得て建立したというが、詳らかでない。
下って江戸後期の『駿河記』『駿河國新風土記』は、「風祭祠」と簡略に所載。昭和初期の『富士郡神社銘鑑』は「風祭神社 祭神志那都比古神 志那都比賣神」「境内65坪、本殿(石祠)8寸四方、例祭7月15日(陰暦)、崇敬者40名」と紹介している。昔からごく小さな社だったらしい。
毎年210日(立春から数えて210日)前後、または八朔(旧暦8月1日=新暦では9月1日ごろ)に行われる祭り。風日待ちともいう。台風到来期のため、稲など農作物が被害にあわないよう風鎮めを祈願する。
富士市内で風の神を祀っている主な社に、桑崎風神社、今宮風之宮神社、南松野風の宮などが挙げられ、比奈諏訪神社や寒竹浅間神社にも境内社として祀られている。いずれもごく小さな社である。また富士宮市には風祭を行った風祭川(風祭沢)がある。
西富士道路や第二東名の南、「天神山」と呼ばれる小高い地域に鎮座している。昔は森の中の神社だったらしいが、いまはすっかり宅地造成され、面影はみじんもない。なお、そばに天神山の由来たる天神社も鎮座し、以前は一緒に祭礼を行っていたという。
空がすっきりと開けた土地に、鉄筋コンクリート製の覆屋がぽつんと建っている。昭和41年8月竣工、鷹岡町厚原北区の奉献。以前は社殿を護るようにエノキやヒノキ、モチノキが茂っていたというが、きれいに伐採されてしまった。まったく殺風景である。
神域
覆屋
覆屋の奥に石祠が祀られている。「元禄十四歳(1701)辛巳九月」「松風庄 厚原村」の銘があるという。向拝柱が外れ、いかにも古寂びている。ほか、棟札とおぼしき木札(表書きは「風祭神社」)と、鳥居束らしい木片(「風祭社」)も保存されている。
石祠
なお、手もとに市教育委員会発行の『歩く健康づくり一万歩 丘「ふる里」コース』というリーフレットがある。そのコースに風祭神社が含まれているのだが、一昔前に刷られたリーフレットは「風祭神社」と紹介し、最近のリーフレットは「風祭神社跡地」と紹介している。…どこかに遷座し、ここは跡地――ということなのだろうか。