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日華

日華
建長4年(1252)11月15日-建武元年(1334)8月16日

鎌倉中期~後期の日蓮宗の僧。二十家阿闍梨、寂日房と称した。日興の高弟本六のひとり。大石寺塔中寂日坊、重須本門寺塔中養仙坊下条妙蓮寺、小室妙法寺、鰍沢経王寺などの開基。

甲斐国鰍沢地頭の秋山一族に生れ、東密の七覚山円楽寺(甲斐国右左口)で出家、修験者として活動していた。建治2年(1276)日興が鰍沢で布教したとき門下となり、以降、甲斐国蓮華寺を拠点に法華弘教。日蓮からは二十家阿闍梨の号を与えられ、弘安3年(1280)5月に本尊を授与されている。

日興が身延山を離れるとこれに従い、正応3年(1290)大石寺建立に際し塔中寂日坊を開創。永仁6年(1298)に重須本門寺塔中養仙坊を開き、正中元年(1324)3月には下条妙蓮寺を開いた。またかれは甲斐・駿河を中心にひろく弘教しており、遠く讃岐や佐渡にも足跡を残す。建武元年(1334)8月16日、妙蓮寺で寂。83歳。

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南条時光

南条時光
正元元年(1259)-元弘2年(1332)5月1日

鎌倉後期の武士。仮名は七郎次郎。駿河国富士郡上方上野郷(現在の富士宮市上条、下条など一帯)の地頭職で、日蓮の強信者。

父兵衛七郎が熱心な日蓮信者で、時光は家督とともに信仰も引き継いだ(日蓮は兵衛七郎の墓参をしている)。身延山の日蓮のもとへしばしば供養の品を届け、熱原法難(日蓮信徒への迫害)が起こったときは信徒たちをかくまった。日蓮はかれの信仰の深さをたたえ、「上野賢人殿」と称している。

時光は、日蓮の高弟日興の門人でもあった。日蓮没後、身延山を下った日興をあつく迎え、正応3年(1290)屋敷の鬼門に大石寺を建立寄進。また永仁6年(1298)重須地頭石川氏らと重須本門寺を建て、正中元年(1324)には屋敷を寺(下条妙蓮寺)に改め、日興の高弟日華を開山に迎えた。元弘2年(1332)5月1日、74歳で逝去。

子の日相・日眼は下条妙蓮寺、甥日目や外孫日道・日行は大石寺、内孫日伝は小泉久遠寺・保田妙本寺を継いだ。

日郷

日郷
永仁元年(1293)8月15日-文和2年(1353)4月25日

鎌倉中期~後期の日蓮宗の僧。宰相阿闍梨と称した。日興の高弟新六のひとり。北山本妙寺(静岡)、小泉妙円寺(静岡)、小泉久遠寺(静岡)、保田妙本寺(千葉)などの開山。

越後国に生れ、延慶3年(1310)大石寺久成坊日世について得度、のち日興や日目(大石寺3祖)に師事した。若くして頭角を現し、正和元年(1312)北山本妙寺を開創。弱冠20歳のことだった。日興の晩年には「新六」に選ばれ、元弘3年(1333)日目の上洛に随行。日目が道中入寂すると遺骨を持ち帰った。ほどなく大石寺を離れ小泉久遠寺を開き、さらに保田妙本寺を開山し、活動拠点を移した。

暦応元年(1338)足利尊氏から保田妙本寺の坊地寄進を受ける。康永3年(1344)小泉久遠寺へ戻り、翌年3月には天奏して光明天皇より綸旨および嵯峨天皇宸翰法華経10巻を賜った。文和2年(1353)4月25日没。61歳。

井出正次

井出正次
天文21年(1552)-慶長14年(1609)2月26日

戦国期~江戸初期の徳川家奉行人。通称甚之助、志摩守を称した。もとは駿河国富士郡の土豪で、のち徳川家康のもと三島代官、駿府代官・駿府町奉行を歴任した。

はじめ今川氏真に仕え、武田信玄の駿河侵攻時には大宮城代・富士信忠らとともに防戦。永禄12年(1569)には今川氏の盟友・北条氏政から感状を受けている。天正10年(1582)徳川家康の甲斐侵攻時に登用され、家康が駿・甲両国を手にすると富士郡および周辺地域の民政を任された。北山用水の開削、伝馬人整備などに携わり、また寺社領安堵状など多くの文書を発給している。

これら政治手腕が認められ、家康の関東移封後は伊豆国に300石を知行し、三島代官として伊豆国を管轄。のち駿府代官・駿府町奉行となった。慶長14年(1609)2月26日、58歳で没。自決という。

日秀

日秀
?-元徳元年(1329)8月10日

鎌倉中期~後期の日蓮宗の僧。下野房と称した。日蓮の弟子で、日蓮没後は日興に随った(本六)。大石寺塔中理境坊、萬部山一乗寺、愛甲長福寺などの開山。

もとは天台宗滝泉寺(富士市入山瀬付近)の学僧だったが、日興の教化で改宗。滝泉寺に住しつつ日蓮法華を広め、熱原六郎吉守、熱原新福地神主などの檀越を得た。しかし、この活動を抑圧しようとした滝泉寺院主代行智と対立し、弘安2年(1279)に熱原法難(※)が発生。日蓮のはからいで下総の日頂・富木常忍のもとへ難を避けた。(※熱原法難=日蓮門弟への弾圧。行智が、苅田狼藉を理由に日秀らの信徒20人を捕らえ、3人が斬首、他は禁獄となった)

やがて日興が大石寺を建立すると、正応3年(1290)塔中理境坊を創建し、正安元年(1299)に市庭寺(現・一乗寺)を開創。晩年は小泉郷に閑居し、元徳元年(1329)8月10日に没した。

久我長通

久我長通
弘安3年(1280)-文和2年(1353)8月27日

鎌倉後期~室町前期の公卿。後中院相国・千種と称した。永仁5年(1297)従三位、元徳2年(1330)内大臣、元弘元年(1331)右大臣、暦応3年(1340)太政大臣と累進。暦応4年、奨学院別当氏長者となった。康永元年(1342)太政大臣を辞し、文和2年(1353)8月27日没。74歳。

久我家は平安末期に成立した公家(清華家)。村上源氏の嫡流。雅定以来、淳和院・奨学院両別当となり、源氏長者も世襲した。代々近衛大将を経て大臣に昇り、太政大臣も多く輩出した。

日源

日源
?-正和4年(1315)9月13日

鎌倉中期~後期の日蓮宗の僧。日蓮の弟子で、中老僧のひとり。岩本実相寺(静岡)、碑文谷法華寺(東京)、谷中感応寺(東京)、雑司ヶ谷法明寺(東京)などの開山。

はじめは天台宗寺門派の僧で播磨法印、智海と称し、天台密教実相寺の学頭だった。一切経閲読のため入寺した日蓮の講義を聞き傾倒、やがて弟子となり日源と名のる。実相寺を日蓮宗に改め、碑文谷法華寺(現・円融寺)、谷中感応寺(現・天王寺)、身延久遠寺塔中の大林坊や円台坊、雑司ヶ谷法明寺などの開山となり、駿河・武蔵に教線を広げた。正和4年(1315)9月13日没。

日興

日興
寛元4年(1246)3月8日-元弘3年(1333)2月7日

鎌倉中期~後期の日蓮宗の僧。日蓮の最高弟六老僧のひとり。伯耆房、白蓮阿闍梨と称した。甲斐国鰍沢の生まれ。富士門流(日興門流)の派祖であり、大石寺重須本門寺を開いた。

幼少のころ、母の実家に近い天台宗四十九院(駿河国)の供僧となり、四十九院および関わりの深い岩本実相寺で修学した(四十九院は実相寺末か別院だったと考えられている)。やがて実相寺に入寺した日蓮に師事。駿河や甲斐、伊豆を拠点に布教し、日蓮の最高弟六老僧に名を連ねた。

日蓮没後、日興は身延山久遠寺で祖廟の守護にあたった。しかし、地頭波木井実長らと教義上の確執が生じたため、正応元年(1288)12月に離山。翌年、駿河国上野の地頭南条時光に迎えられ、正応3年(1290)大石寺を、永仁6年(1298)重須本門寺を建立し、後進育成にあたった。元弘3年(1333)2月7日没。88歳。「本六」「新六」と呼ばれる計12人の高弟がいた。

日蓮

日蓮
貞応元年(1222)2月16日-弘安5年(1282)10月13日

鎌倉中期の僧。日蓮系諸宗派の宗祖。安房国・小湊生まれ。はじめ是聖房蓮長といい、のち日蓮に改めた。延文3年(1358)後光厳天皇より「日蓮大菩薩」、大正11年(1922)大正天皇より「立正大師」の諡号を追贈された。

安房の天台宗清澄寺で教育を受け、16歳で出家。延暦寺や三井寺など鎌倉・畿内の諸寺へ遊学し、建長5年(1246)清澄寺で立教開宗した。駿河の天台宗実相寺で一切経を閲読後、『立正安国論』を執筆し文応元年(1260)北条時頼に送った。

幕府・他宗を激しく批判したことから、文応2年(1261)から3年間伊豆に、文永8年(1271)から3年間佐渡に流された。文永11年(1274)に赦免されると、高弟日興の弟子である身延地頭波木井実長の領地へ入り、身延山久遠寺を開山。弟子や信奉者の育成に努めた。弘安5年(1282)病気療養のため常陸に向う途中、武蔵国の池上宗仲邸(池上本門寺)で伏せ、直弟子6人(六老僧)に後事を託し、10月13日没した。61歳。

日代

日代
永仁2年(1294)10月14日-応永元年(1394)4月18日

鎌倉後期~室町前期の日蓮宗(富士門流)の僧。日蓮の孫弟子、日興の高弟(新六)。蔵人阿闍梨、伊予公と称した。西山本門寺の開基。駿河国富士郡上方庄河合(富士宮市)の由比家出身で、日興の外甥、日善の弟にあたる。

日興に、「本六」「新六」と呼ばれる計12人の高弟がいた。日代は「新六」の1人で、学識にすぐれ、日興が元弘3年(1333)に没すると、重須談所(重須本門寺)を継承した。しかし、重須地頭石川氏や宗徒と対立し、排斥されるかたちで重須を離山。西山領主大内安清に招かれ、西山に法華堂(西山本門寺)を建立した。応永元年(1394)4月18日没。101歳(98歳説もあり)。

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