邇々杵神社
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名称 所在 滋賀県高島市朽木宮前坊289
主神 瓊々杵命
創建 不詳 例祭 5月10日
敷地 999坪 神紋 四つ目、三つ巴
社格 旧郷社 備考 多宝塔(市文)
交通 JR湖西線安曇川駅より14km 駐車可能
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境内社確認できた境内社は7社。いずれも本殿透塀のなかに鎮座している。 明治初期、一時的に主殿となるも、のち境内社に復した河内神社は、邇々杵神社本殿と並んで建っている。あとの6社はごく小祠。名は判然としない。透塀を背に、本殿と河内神社を囲むように配置されている。 |
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参考文献 境内掲示板、全国神社名鑑、寺院神社大事典、滋賀県の歴史散歩、角川日本地名大辞典、日本歴史地名体系 |
Tag ⇒ 近江国 文化財
Entry ⇒ 2011.02.25 | Category ⇒ 神社仏閣-静岡県外 | Trackbacks (2)
中之郷・岩本で花見
2月13日(日)。快晴。
天候に恵まれたため、宗清寺(富士市中之郷)の「富士川梅園」で花見。
- 参拝リスト
- 浄巌山 宗清寺
- 中郷山 等覚寺
- 岩本山 実相寺
- 天神堂(実相寺)
浄巌山 宗清寺
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慶長2年(1597)浄岩守清が一宇を建立し、杉田安養寺4世太嶽宗伯を招いて開山。数年間は「新寺」と呼ばれたが、のち宗伯と守清から1字ずつとって宗清寺と号した。宗伯は荒廃していた宇多利神社を再建、別当寺となった。◆所在地/富士市中之郷3762。宗派/曹洞宗。本尊/虚空蔵菩薩。
本堂裏手の急峻な傾斜地に「富士川梅園」がある。富士山から愛鷹山、駿河湾まで一望でき、冠雪した富士山と梅の競演が見どころ。絶景なり。
中郷山 等覚寺
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中老僧日位が正応元年(1288)、四十九院に建立した萱葺の持仏堂と小庵が起源とされる。戦国期、武田信玄の兵火にかかり堂宇・古文書を焼失、のち現在地に移転再建。鬼子母神堂は昭和4年建立(同42年再建)。◆所在地/富士市中之郷3772。宗派/日蓮宗。本尊/一塔両尊四士。
宗清寺と隣接している。こちらも本堂裏手が急峻な斜面で、墓碑がびっしりと林立している。この墓地の造成が美しく、遠目にみると棚田のよう。富士山の眺望も抜群。
岩本山 実相寺
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岩本山の南ろくから山腹に甍を並べる日蓮宗霊跡本山。久安年間(1145~50)鳥羽法皇の勅願により、比叡山横川の智印が天台密教の寺として開創。正嘉2年(1258)日蓮が入山し一切経を閲読、『立正安国論』を執筆。のち日蓮宗寺院となり、地域の布教拠点となった。戦国期に武田信玄の兵火で焼失、慶長年間に再建された。 ◆所在地/富士市岩本1847。宗派/日蓮宗。本尊/十界曼荼羅。 >>詳細はこちら
続いて岩本山の梅園に向かうため、ふもとの実相寺へ。実相寺境内をぬけて岩本山公園にいたるハイキングコースで、公園内の梅園を目指した。
天神堂(天神社)
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実相寺の山内で祀られている天神堂(天神社)。常経堂跡に建てられたという。昭和初期の『富士郡神社銘鑑』は「創建年月不詳、境内39坪、例祭陰暦9月25日、崇敬者400名」と所載。平成5年放火で焼失、翌年再建。◆所在地/富士市岩本字山内1841。主祭神/菅原道真。旧社格/無格社。
しかし、山頂まで登るのがめんどうになったので、岩本山中腹にある実相寺天神堂のミニ梅園でお茶を濁すことに(笑)。ん、十分きれい。
Tag ⇒ 中之郷 岩本
Entry ⇒ 2011.02.21 | Category ⇒ 参詣履歴 | Trackbacks (0)
滝川観音大祭

◇…観音堂は奈良期、行基が全国各地に建立した観音堂のひとつ、という。小栗判官の愛馬鬼鹿毛が堂下に眠ると伝えられ、馬頭観音も祀られていることから、縁日は「近郷ノ馬ヲ有スルモノ参詣セザルハナシ」(原田村沿革誌)だったらしく、昔は草競馬も行われていた。近年は御殿場市の乗馬クラブから馬2頭を招き、境内の一角で体験乗馬を催している。
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参考文献 境内掲示板、鑑石園掲示板、駿河記、駿河志料、郡誌編集資料原田村、原田村沿革誌、日本名刹大事典、富士市のまつり、富士市の寺院、富士市の仏教寺院、文化財めぐり、郷土資料辞典、浅間神社の歴史、修験道辞典、日本歴史地名体系 |
Tag ⇒ 原田地区 原田 臨済宗妙心寺派 修験道 村山修験 下方五社 文化財 富士横道観音霊場 駿河国三十三所観音霊場 駿河・伊豆両国三十三番観音霊場
Entry ⇒ 2011.02.19 | Category ⇒ まつり | Trackbacks (0)
神田山神社
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名称 所在 静岡県富士宮市若の宮町862(大宮字二貫地1778)
主神 大山祇神
創建 不詳 例祭 1・10月各17日
敷地 813平方メートル 社格 旧無格社
神徳 農産・山林業守護ほか
交通 JR富士宮駅より徒歩7分 駐車場無
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木の花区でまつる山の神
JR富士宮駅から北へ徒歩7分。若の宮町のなだらかな坂道に、こんもりと茂った木立がある。「神田山神社」と呼ばれる山神社だ。木の花区全域で祀られ、小さな境内に児童公園・防災倉庫が設置され、北側には区民館が隣接。地域の公共の場となっている。 山神社は、北150mに鎮座している若之宮浅間神社とともに、古くから地域の人々に崇敬されてきた社という。ただし、創建年代や沿革は詳らかでなく、『富士郡神社銘鑑』『大宮町誌』は「創建年月不詳」と簡略に記す。当時の番地は大宮町大宮字二貫地1778で、260坪の境内地に1間1尺×4尺5寸の雨覆があり、中に1尺5寸×1尺3寸の本殿があった。 なお神域南の御殿町あたりは、旧称を「山道」といった。入会地や畑にゆく起点にあたることが、地名由来らしい。あるいは山神社は、入会地に向う人や山仕事に従事した人たちが、その安全を祈願した社だったのかもしれない。 江戸期の鳥居や題目塔が残る社頭に石仏・石塔が1列にならび、神域脇に小さな地蔵堂がある。加えて神域右手は、二貫地共同墓地。「神仏習合の名残か」――と思いきや、別段関係はなく、いずれも神田川の畔から道路工事のおり移されたという。 地蔵堂は長寿福徳地蔵尊を安置する。渋沢用水にかかる地蔵橋のたもとにあったが、道路工事の際に移された。旧地の古称から、「山道地蔵尊」とも呼ばれる。 石仏・石塔は題目塔や地蔵、如意輪観音であり、ひときわ目を引くのは高々とそそり立つ題目塔。脇の石碑によれば、上行寺(廃寺)にあったもので、寛文元年(1661)建立という。これだけ立派で古い題目塔は、なかなか目にできない。
石仏・石碑の後ろに石鳥居がたつ。丈は低く、黒みがかり、ずいぶん古びている。左右の柱に「文化元年(1804)甲子朧月吉辰」「奉造建石華表志主高瀬定右衛門」と大きな字で刻まれている。この鳥居は若之宮浅間神社から移設したものと伝えられる。 鳥居をくぐり、植栽に空を隠された階段を上がると、目の前に簡素な社殿。入母屋造りの覆屋で、柱は木材、壁はトタンのシンプルな造り。正面に手作り感が暖かい木製扁額を掲げている。境内右手にはいくばくかの遊具と小ぶりな土俵があり、裏手には木の花区の山車格庫が隣接している。 |
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参考文献 石碑、駿河志料、大宮町誌、富士郡神社銘鑑、木乃花区史、なつかしの地名をたずねて |
Tag ⇒ 大宮地区 大宮 山神信仰
Entry ⇒ 2011.02.18 | Category ⇒ 神社仏閣-富士宮市 | Trackbacks (0)
浮島を巡る
2月6日(日)。曇り。
沼津に所用があったため、道すがら富士市南東端の浮島3区を散策。
- 参拝リスト
- 熊野神社(境)
- 法栄山 正光寺
- 薬師堂(中尾山薬王寺)
- 浅間山神神社
- 浅間神社
- 愛鷹山 興隆寺
熊野神社
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境の産土神。創祀年月不詳ながら、明和元年(1764)の再建棟札が残る(開眼主は沼津市平沼の日蓮宗・妙永山法華寺17世日浄)。江戸後期の諸地誌は「熊野三社」「熊野権現社」の名で所載。◆所在地/富士市境字大通上712。主祭神/伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔鳴尊。旧社格/村社。
富士地区に7社(神社本庁包括)ある熊野神社のひとつ。根方街道奥のなだらかな傾斜地にささやかな木立を備えている。すぐ後ろは東海道新幹線で、時おり白い車両がヒュンヒュンと走り抜けていく。境内西側のクスはひときわ立派。
法栄山 正光寺
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日蓮正宗・高照山妙光寺(明治26年に東京都品川区へ寺籍を移した)の跡に設立された。当初は境教会(のち浮島教会に改称)として活動していたが、昭和41年に堂宇を新築し、「法栄山正光寺」に改称した。◆所在地/富士市境字大道705。宗派/日蓮正宗。本尊/日昌上人曼陀羅。 >>詳細はこちら
熊野神社と隣接している日蓮正宗寺院。富士市は日蓮正宗総本山大石寺を擁する富士宮市と隣接しているものの、同宗寺院は殊の外少なく、正光寺のほかは伝法龍泉寺があるのみ。ごく小さなお寺で、ほとんど民家とかわらないたたずまい。
薬師堂(中尾山薬王寺)
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古くは「中尾山薬王寺」という真言宗寺院だった伝承されるが、資料上の裏付けはない。江戸期の諸地誌を引くと、『駿河志料』のみに「薬師堂」と見える。御堂は昭和59年再建、本尊は16年に1度御開帳。参道の湧水は眼病にあらたかという。◆所在地/富士市浮島1丁目724。本尊/薬師如来。
熊野神社&正光寺から西へ50mばかり歩いたところにある。根方街道からのびる参道脇に湧水があり、多数の鯉が泳いでいる。この湧水が眼病にあらたかな泉かな。
浅間山神神社
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西船津の産土神。創祀年月不詳だが、春山川の治水を願い、土手に浅間神社と山神社を勧請したのが起こりと伝えられる。現存最古の記録は享保16年(1731)9月の棟札で、幕末にも3度再建している。◆所在地/富士市西船津中村63。主祭神/木花開耶姫命、大山祇命。旧社格/村社。
境地区を辞し、隣の西船津へ。
春山川の河畔に鎮座。本殿の周りにやたらと棕櫚が生えている。そういえば、本宮浅間大社のいきがかかる浅間神社は、神紋に棕櫚の葉を使うところが多い(大社の富士大宮司の紋が棕櫚の葉)。一方、山梨県側は桜紋が多い印象。
浅間神社
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船津の産土神。創祀不詳だが、元禄2年(1689)11月の再建棟札が残る。昔は大社であり、石川に一の鳥居があったと伝える。幕末の諸地誌は「富士浅間社」と所載し、棟札によれば江尾の修験大福院が法主をつとめた(明治以降は桃澤神社の神官)。明治以降、近隣の山神社・神明社を合祀したようす。御神木のクスは市天然。◆所在地/富士市船津字浅間原619。主祭神/木花開耶姫命。旧社格/村社。
続いて船津に入り、船津浅間神社へ。
豊かな森をとどめており、お気に入りの神社のひとつ。境内左手のクスは市天然記念物。太い幹をまっすぐのばし、堂々とした樹形。昭和58年の段階で樹高30m、目通り4.05m、枝張は東西20m、南北10m。今はいっそう大きくなっている。
愛鷹山 興隆寺
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寺記によれば、もとは願成寺と号した真言寺院だったという。寛永15年(1638)井出大泉寺4世の海翁舜岳が現在地に移し改宗・改称、延宝4年(1676)諸堂再建。のち2度の火災で堂宇を失ったが、そのつど再建された。戦後の農地改革まで田畑3町1反1畝8歩、山林原野6町6反3畝13歩を所有、「臼杵いらずの興隆寺」といわれた。◆所在地/富士市船津719。宗派/曹洞宗。本尊/聖観世音菩薩。
最後は愛鷹山興隆寺。
根方街道と山門のあいだに、絵の具で塗ったごとく鮮やかな茶畑がしきつめられている。このアプローチの雰囲気は、富士市でも指折りだと思う。落ち着いたたたずまいの堂宇もいい感じ。
Tag ⇒
Entry ⇒ 2011.02.14 | Category ⇒ 参詣履歴 | Trackbacks (0)
香久山妙法寺(毘沙門天) 大祭
妙法寺(毘沙門天)で2月9日、「だるま市」で知られる大祭が始まった。境内は大小さまざまなだるまを並べた露店と、買い求める人々でにぎわいをみせた。11日まで開催。
毘沙門天はインド伝来の神。北方守護や福徳富貴を司り、日本では国家鎮護の武神や七福神としても信仰された。
妙法寺の毘沙門堂は、平安末期に富士修験の道場として開かれた説があるものの、詳らかではない。大祭は江戸の中ごろ始まったとされ、だるま市は約100年前から開かれているという。福徳・開運の毘沙門天に、だるまの縁起良さを結びつけて売り出したとか。今では高崎、深大寺とともに「日本三大だるま市」として知られている。
期間中、門前の旧東海道は歩行者専用となり、露店と参詣者でごった返した沿道・境内は、押すな押すなの人の波。終日、売り子の活気あふれる声が響く。(→09年版、→10年版)
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Tag ⇒ 寺院 富士市の寺院 元吉原地区 今井 日蓮宗 香久山妙法寺(毘沙門天) 身延山久遠寺 身延山久遠寺末寺 毘沙門信仰
Entry ⇒ 2011.02.10 | Category ⇒ まつり
岳南鉄道でめぐる神社仏閣
富士山南ろくの富士市を走るローカル私鉄、岳南鉄道。路線距離は9.2kmと短いが、沿線は神社や仏閣、史跡に恵まれ、探訪スポットに事欠かない。
岳南鉄道は、東海道本線も乗り入れる吉原駅を起点に、岳南江尾駅まで9.2kmを約20分でむすぶ。吉原駅を発した電車は、吉原中心街をへて製紙工場地帯を走り、後半は変哲もない住宅地をぬけて終着にいたる。車窓からは富士山が見え、また富士市の代名詞といえる煙突風景も印象的な路線である。
より大きな地図で 岳鉄沿線の神社仏閣 を表示
岳鉄を利用した社寺めぐりの魅力は、なんといっても社寺の豊かさ。各駅から手軽に立ち寄れるスポットは100か所を数え、徒歩10分以内で参拝できるところも多い。
中でも充実しているのが吉原本町駅。この界隈は東海道吉原宿跡であり、宿場の鎮守・天神社をはじめ、数百年の歴史を刻んだ社寺が点在している。また吉原本町駅を過ぎると、電車は県道22号と並走する。この県道は「根方街道」と呼ばれる古い往還で、街道筋にはひとかどの歴史を有した神社や寺院、古墳も多い。
また「駅間の距離」も岳鉄の魅力。
岳鉄は路線距離9.2kmに10か駅を設置。駅間距離は平均1km余りに過ぎず、最長でも2.3km、最短はわずか300m!。この距離なら、駅から駅まで社寺をめぐりつつ歩くこともたやすい。
思いつくままに途中下車して散策を楽しみ、くたびれたら休憩がてら電車に揺られ、またいずれかの駅で途中下車――。そんなのんびりとした乗車こそ、岳鉄の醍醐味かもしれない。
社寺めぐりに際し、オススメは「全線1日フリー乗車券」。土・日・祝日有効のフリー乗車券で、運賃はたったの400円。吉原駅~岳南江尾駅の普通運賃350円をかんがみると、かなりお得である(切符は今どきめずらしい硬券)。
沿線にある神社仏閣の一部をピックアップして紹介する。
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大祭(旧暦正月7~9日)のだるま市が全国的に有名。通称「毘沙門さん」。寛永4年(1627)田島村で開創、延宝8年(1680)大津波で流失。17年後、今井の彦左衛門によって移転再建。堂宇はアジア各国の様式を取り入れ、地下洞窟に七福神を祀る。◆所在地/富士市今井620。宗派/日蓮宗。本尊/一塔両尊。◆吉原駅より徒歩12分。
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鈴川の浜から500mばかり離れた住宅街に残された円錐形の石造塚。富士信仰(浅間信仰)に基づき、俗に「富士塚」「浅間宮」と呼ばれる。富士道者は入峰前、鈴川の浜で垢離し、石をひとつ持って塚へ上がり、祓をした。また、富士山本宮浅間大社では、重要神事に先立ち主要神職が塚に参拝、御祓・祭祀していた。◆吉原駅より徒歩6分。
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吉原宿の鬼門を護ってきた総鎮守。吉原最古の社で、社記は源頼朝や豊臣秀吉が参拝したと伝える。菅原道真を合祀し、現在は学問の神として信仰あつい。社殿は朱塗りで、本殿は寛政元年(1789)再建。拝殿の色鮮やかな彫刻も見どころ。◆所在地/富士市吉原3-1-10。主祭神/瓊瓊杵命。旧社格/村社。◆吉原本町駅より徒歩3分。
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下方五社の1社で、五社別当東泉院跡に鎮座。権勢者から崇敬され、今川氏親は当社再建に尽くした東泉院を称え、徳川家康は慶長20年(1601)に奉幣したという。神領15石9斗。クスノキの大木があり、社殿蟇股に見事な彫刻。◆所在地/富士市今泉1436。主祭神/木花咲耶姫命、大山咋神。旧社格/村社。◆吉原本町駅より徒歩8分。
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孝昭天皇2年に富士山腹で創祀され、のち現在地へ遷座。弘仁2年(811)皇后の安産祈願を奉仕以来、勅願所に定められたという。領主の庇護をうけ、特に今川氏の崇敬は篤かった。社殿は江戸期再建、御神木の大クスは県天然。◆所在地/富士市浅間本町5-1。主祭神/大山祗命。社格/式内社、旧郷社。◆吉原本町駅より徒歩16分。
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駿甲相三国同盟の締結地。貞治2年(1363)須津庄で開創し、応安3年(1370)瀬古、翌年寺市場に移転。今川氏の庇護を受け、義元のころ全盛を迎えたが、武田氏の兵火で焼失。明治期、法雲寺が合併。跡地は公園となり、一角に開山大勲策や雪斎の墓がある。◆所在地/富士市今泉寺市場。宗派/臨済宗。◆本吉原駅より徒歩9分。
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富士市屈指の曹洞禅刹。天平勝宝8年(756)行基が開創、文明4年(1472)洞家へ改めたという。盛時は末寺64寺を数え、洞慶院派300余寺の門頭職を務めた。今川、武田、豊臣、徳川各氏の朱印状所蔵。庭園は東海有数の湧水庭園と称される。◆所在地/富士市原田1167。宗派/曹洞宗。本尊/聖観音。◆岳南原田駅より徒歩9分。
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相当の古社とされ、源頼朝が約5寸の黄金の玉を奉納したと伝える。下方五社の1社で、江戸期は「浅間神社」「富士浅間社」と称したほか、竹取の翁を祀るとされ「父之宮」とも号した。社領は五社別当領から12石。社叢は市保存樹林。◆所在地/富士市原田1309。主祭神/木花之佐久夜毘賣命。旧社格/郷社。◆比奈駅より徒歩13分。
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比奈地区は『和名抄』に所載された「姫名郷」の遺称地とされ、「かぐや姫伝説」発祥地と伝えられる。周辺には「籠畑」「見返し坂」など関連地名が残る。竹採公園は、『竹取物語』に登場する竹取の翁と嫗の居住地で、かぐや姫の誕育地と伝えられる。毎年中秋の名月に「姫名の里まつり」を開催。◆所在地/富士市中比奈。◆比奈駅より徒歩14分。
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天平年間(729~49)に開創、永禄年間(1558~70)に改宗した。永禄9年(1566)今川氏真が山林1町3反歩を寄進。境内に平安期の経塚があり、経筒(市文)などが出土。薬師如来坐像は市文、マキは市天然。墓地に山本勘助の供養塔。◆所在地/富士市東比奈2-1546。宗派/浄土宗。本尊/阿弥陀如来。◆比奈駅より徒歩9分。
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文永年間(1264~74)領主冷泉中将隆茂が創建した須津庄の鎮守。中世は多門坊を別当に、今川・北条・武田氏などから庇護された。江戸期は朱印11石と除地18石、摂社愛鷹神社の除地14石5斗1升4合を領した。社叢は市保存樹林。◆所在地/富士市中里1017。主祭神/誉田別命、息長足姫命。旧社格/村社。◆須津駅より徒歩3分。
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根方道筋の古刹。もとは真言宗に属したが、永仁元年(1293)住持日恫と領主冷泉中将隆茂が岩本実相寺日源の教化により改宗。戦国期は今川氏の軍役を務めるなど隆盛したが、武田氏の兵火で焼失。のち再建され、江戸期は朱印領20石。◆所在地/富士市中里1249。宗派/日蓮宗。本尊/一塔両尊四士。◆須津駅より徒歩5分。
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浅間古墳は、愛鷹山南麓の丘陵地にある前方後方墳(国指定史跡)。築成は4世紀後半と推定される。浅間神社は、古墳の頂部分に鎮座している。西増川の産土神。江戸期は修験の大福院が別当を務め、棟札に「浅間大菩薩」と見える。◆所在地/富士市増川624。主祭神/木花之佐久夜毘賣命。旧社格/村社。◆神谷駅より徒歩10分。
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飯綱修験系の社。崇神天皇御代、武淳川別命によって創建され、戦国期に行なった飯綱神法の効験が名を馳せたことから、飯綱神社を称したと伝える。現祭神は宇迦之御魂神だが、神仏分離前は飯縄大権現を祀っていたのだろう。社叢は市保存樹林。◆所在地/富士市江尾712。主祭神/宇迦之御魂神。旧社格/村社。◆江尾駅より徒歩6分。
Tag ⇒ 岳南鉄道 神社 寺院 富士市の神社 富士市の寺院
Entry ⇒ 2011.02.04 | Category ⇒ 郷土いろいろ
岳南鉄道
岳南鉄道は、富士山南麓の富士市で活躍しているローカル私鉄。全長9.2km、静岡県下で最も短い鉄道である。市民の通勤・通学、買い物の足として親しまれ、また製紙関係の貨物輸送が盛んな路線として知られている。
起点の吉原駅は、JR吉原駅の北側に駅舎とホームを構えている。ローカル私鉄らしい小ぢんまりとした駅舎だ。自動券売機はなく、窓口で切符を求めると、駅員さんが厚紙の硬券を取り出し、改札鋏でパチンッ。今どきめずらしい昭和レトロな一幕。
改札をぬけ、電車に乗り込み、席につく。ジリジリジリジリジリ―――発車ベルがけたたましく鳴り響き、電車がゆっくりと動き出した。所要20分、のんびり旅の始まりだ。
吉原駅を発した電車は、まず富士市吉原の中心街を目指す。というのも、岳南鉄道が担う重要な役割に、「東海道本線吉原駅(在所は鈴川本町)と吉原中心街を結ぶこと」がある。
吉原は東海道の宿場として賑わった町だが、明治22年の東海道本線開通のさい、そのコースから外れた。一説に吉原が、「東海道本線が通ると、徒歩の旅人が寄り付かなくなり、町がさびれてしまう」と危惧し、誘致に消極的だったという。東海道本線は、3kmほど離れた鈴川に鈴川停車場(現吉原駅)を置いた。
結果、吉原は近代化の流れから取り残され、やがて衰退が顕在化。鉄道の必要性を強く認識し、これを欲するようになった。
昭和21年、駿豆鉄道(現伊豆箱根鉄道)が沼津駅を起点に吉原へ至る路線免許を申請。対し吉原など地元は、鈴川駅(現吉原駅)を起点とするよう陳情を重ねた。その結果、「鈴川起点、吉原経由」に計画変更となり、同23年2月に免許がおりた。
同年12月、岳南鉄道(株)を設立。同24年、鈴川駅(現吉原駅)~吉原本町駅を開業した。当時の運賃は大人片道5円。同25年吉原駅(現本吉原駅)、同26年岳南富士岡駅までのばし、開業4年後の同28年に岳南江尾駅まで全線開通した。
ちなみに名称候補には「富士鉄道」や「吉原鉄道」、「根方鉄道」もあったが、富士山(富岳)の南ろくを走ることから岳南鉄道に決まった。
吉原中心街を過ぎた電車は、根方街道と並走するように東へ走る。市街地から徐々に離れ、岳南原田駅辺りからは、地場産業である製紙の工場地帯に。そそりたつ煙突を見上げ、銀色の大きなタンクの脇をぬけ、ごちゃごちゃとした配管の下をくぐる。そこかしこに工場への引込み線が分岐し、長々と連なった貨車が点在。富士市らしい風景であり、岳鉄のハイライトシーンでもある。
岳南鉄道は、旅客輸送のほか貨物輸送という役割も担う。
沿線には豊かな湧水を利用した製紙業が発達し、日本大昭和板紙をはじめ多数の工場が林立している。それら製紙会社が製品や原材料、従業員輸送の重要手段として鉄道敷設を強く要望した経緯があり、岳鉄開業のさいも、大昭和製紙(現日本製紙、日本大昭和板紙)が出資した(ほかの出資者は駿豆鉄道と地元自治体。駿豆鉄道は出資金の半分を担い、車両・レール・変電所などで現物支給)。
貨物輸送は、最盛期の昭和44年には約100万㌧に達した。しかし現在はトラック輸送が主流となり、貨物輸送の取扱量は激減している。
比奈駅を過ぎた辺りで工場地帯は終り、以降は愛鷹山を眺めつつ、変哲もない住宅地をゆく。岳南富士岡・須津・神谷の各駅を過ぎ、赤淵川・須津川をわたり、新幹線の高架下を通過すれば、ほどなく終点の岳南江尾駅。岳南鉄道はここで折り返し運転となる。
当初は、岳南江尾駅から延伸してJR沼津駅に乗り入れる計画があったものの、残念ながら幻に終った。実現していた場合、路線距離は倍近い17kmになったらしい。いま、線路のはてには、立ちふさがるように家が建っている。どこか物悲しい風景。
また、旧左富士信号所(ジヤトコ前駅南方)からJR身延線入山瀬駅をむすぶ計画もあり、路線免許も持っていたが、こちらも実現せず。のち免許も失効した。 >>「岳鉄でめぐる神社仏閣」
電車5両、電気機関車4両(1両休車)が在籍している。いずれも他線で活躍していた中古車である。電車は、京王電鉄井の頭線で使用されていた3000系。機関車は、松本電気鉄道や上田温泉電軌、豊川鉄道からやってきた。
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富士山麓を走るだけに、全区間で富士山を見ることができる。ただ、先に触れたように市街地~工場地帯~住宅地を走るため、眺望がひらけたところは存外少ない。おススメは吉原駅~ジヤトコ前駅の直線部分。富士山をバックに走る電車を順光で見ることができる。工場地帯を走る岳南原田駅~比奈駅もおもしろい。
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