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富士山本宮浅間大社

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名称富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ
所在静岡県富士宮市宮町1-1
主神浅間大神(木花之佐久夜毘売命)
配神瓊々杵尊 大山祇神
合祀荒神社 水神社 須賀神社 日之宮神社 伊勢宮社 八幡社 厳島神社 追加明神社 見目神社 飯酒王子社(以上、元末社)
創建伝:垂仁天皇3年(前27)8月
祭礼流鏑馬祭:5月4~6日 御田植祭:7月7日 奥宮例祭:8月15日 例大祭:11月3~5日ほか
敷地およそ1万7,000坪(奥宮のぞく)
神紋丸に棕櫚の葉
社格式内社(名神大) 駿河国一宮 旧官幣大社 別表神社
備考世界文化遺産推薦の構成資産、「史跡富士山」の構成資産(国史跡)、本殿 太刀銘景光 脇差銘信国 絹本著色富士曼荼羅図(以上国重文)、幣殿拝殿楼門・透塀2棟 富士浅間曼荼羅図 鉄板札紅糸威五枚胴具足 青磁蓮弁文大壷 青磁浮牡丹文香炉 人形手青磁大茶碗附屈輪彫天目台(以上県文)、後陽成天皇宸翰 大薙刀(以上市文)、湧玉池(国天然)、富士宮囃子(県文) 古式流鏑馬(市文)
神徳安産・子宝・火難消除・酒造・航海安全ほか
交通JR富士宮駅より徒歩10分 駐車場有
  1. 由緒
  2. 境内概要
  3. 写真
  4. 境内社・境外社
  5. 祭礼
  6. 関連リンク・参考文献

霊峰富士をまつる浅間神社の総本宮

日本のシンボルとして愛される富士山を神体山と仰ぐ駿河国一宮。美しくそびえる山の頂に奥宮、南西麓に本宮が鎮座し、「おせんげんさん」の名で親しまれている。全国1,300余社を数える浅間神社の総本宮であり、富士信仰の中心をなす古社である。

丸に棕櫚の葉
  1. 草創
  2. 中世
  3. 近世
  4. 維新後
1.草創

『富士本宮浅間社記』によると、第7代孝霊天皇御代の富士山噴火により、駿河国は長らく荒廃した。これを憂いた第11代垂仁天皇が、その3年(前27)8月に浅間大神を「山足之地」に鎮斎したところ、大神の水徳によって富士山は鎮まったという。

「浅間」は火山、「山足之地」は山麓の意とされ、当初は特定地を設けず、山麓の適所をえらび祭祀したと考えられている。

次ぐ景行天皇の御代、日本武尊が駿河国で野火攻めにあったとき、大神の加護で災から逃れた。日本武尊は感謝し、大神を山宮へ奉斎。下って大同元年(806)、平城天皇の勅を受けた坂上田村麻呂が現在地に社殿を営み、大神を山宮から遷した。

遷座理由として湧玉池が注目されている。大神は前述のように「水徳の神」。ゆえに、より神威の高まる地が選ばれた――と。

湧玉池
浅間大社旧跡の山宮
朝廷・公家の崇敬

富士山噴火が相ついだ平安期、朝廷は荒ぶる山霊を鎮めるべく、神階昇叙や遣使奉幣をくりかえした。

神階の史料上初見は『文徳実録』で、仁寿3年(853)7月5日名神となり、同13日従三位へ叙せられている。以後、貞観元年(859)正三位、延喜7年(907)従二位へ昇叙し、延喜の制で名神大社に列格。永治元年(1141)正一位を授けられ、『駿河国神名帳』には「正一位 浅間大明神 坐富士郡」と載る。

都良香の『富士山記』には「貞観十七年十一月五日、吏民仍舊致祭」(875年、官・民が旧例にならって祭りを行った)と載る。これは浅間大社の祭礼と考えられ、このころには官民参加の祭礼が大々的に行われていたようす。

歴代駿河守は着任のさい参拝したようで、天元2年(979)駿河守に任ぜられた平兼盛は、湧玉池を「つかふへき かすにをとらん 浅間なる 御手洗川の 底にわく玉」と詠んでいる。

祭神および社号の変遷

祭神は、富士山の神霊たる浅間大神だが、江戸のころ木花之佐久夜毘賣命をあてるようになった。また神仏習合により祭神は大日如来の垂迹とされ、「富士浅間大菩薩」や「富士浅間大権現」、「浅間大明神」とも呼ばれた。

社号ははじめ「浅間明神」「浅間神社」、のち「富士の社」「富士の宮」「富士浅間宮」とも呼ばれ、さらに分霊された新宮(静岡浅間神社)に対し「本宮」と呼ばれるようになった。

興味深いところでは、江戸後期の地誌『駿河記』に「櫻之宮トモ申、或ハ櫻ノ御トモ称奉ル」とある。御神木である桜にちなんだ俗称もあったようだ。

2.中世
源、北条、足利氏の崇敬

武門の崇敬もあつく、権勢者の多くが神領寄進や安堵、社殿造営などで保護した。源頼朝は文治4年(1188)駿河国益頭庄・大岡庄を寄進し、建久4年(1193)富士の巻狩りのさい流鏑馬を奉納した。これがいまに伝わる流鏑馬祭の起源とされる。

北条泰時は建保7年(1219)に参拝、「千早振 神代の月の 冴えぬれば 御手洗河も 濁らざりけり」と詠んだ。北条義時は社殿を造営し、貞応2年(1223)6月遷宮を指揮(『吾妻鏡』)。

古式流鏑馬
流鏑馬祭の古式流鏑馬(市文)

建武の中興のさい、後醍醐天皇は元弘3年(1333)9月3日に駿河国下島郷(静岡市)の地頭職、翌年9月8日に同国富士郡上方(富士宮市)を寄進している。

一方、足利尊氏は建武2年(1335)9月24日に遠江国貫名郷(袋井市)を寄進し、建武4年(1337)10月2日に下島郷地頭職を打渡している。尊氏の弟直義は、建武2年(1335)11月10日に遠江国富士不入計(袋井市)を寄進した。

今川氏

駿河・遠江守護の今川氏は、「赤鳥」を笠印・旗印に用いた。この理由について今川了俊は『難太平記』に、「入国したわれわれが富士浅間宮を参拝したさい、巫女より託宣が下ったため」と記している(静岡浅間神社とする説もあり)。

初代範国は建武4年(1337)、下島郷地頭職を安堵。2代範氏は康安2年(1362)、駿河国勾金郷・栗原郷(静岡市)を安堵。3代泰範は至徳元年(1384)に上記を重ねて安堵し、応永7年(1400)富士不入計・平宇郷(袋井市)・貫奈郷を安堵。

武田氏

永禄11年(1568)武田信玄が駿河国を侵すと、大宮司富士信忠は大宮城へ篭城。武田氏の攻撃を3度はね返した。しかし、矢面に立ち窮した大宮司は結局、武田氏へ城を明け渡した。

駿河国を手にした信玄は、浅間大社をあつく庇護した。永禄13年(1570)4月23日、北条氏滅亡を祈願した願文を奉納。元亀2年(1571年)に甲冑を奉献し、同3年には富士山上および社中の散銭を燈油料として安堵した。

信玄桜
信玄桜(武田信玄手植桜の2世)

信玄の子勝頼は、信玄以上に厚遇した。元亀4年(1573)富士信忠の子信通に定納200貫の地を与え、天正5年(1577)大宮司に任命。同6年に壮大な社殿を営み(同10年戦火で焼失)、社中法度も制した。太刀銘景光(重文)や鉄板札紅糸威五枚胴具足(県文)を献じたのも勝頼と伝えられる。

武田家中の崇敬もあつく、武田信友は名刀、仁科盛信らは神馬を献じ、鷹野徳繁は香炉・壷・茶碗(県文)などを献じた。

国人、大宮司富士氏

大宮司富士氏は中世、武装勢力の側面を持っていた。武装の発端は、神領の自衛だったのだろう。富士郡上方(現在の富士宮市)に影響力を持ち、いつしか今川氏の有力国人領主となった。いまに伝わる流鏑馬神事も、重要な神事であったと同時に、軍事力アピールの場にもなっていたと考えられている。

3.近世
秀吉と家康

豊臣秀吉は天正18年(1590)12月、朱印領1,070石を寄進。内訳は、祭礼料など380石、大宮司・社人給412石、公文77石、案主34石、段所45石、別当以下供僧122石。

徳川家康は慶長9年(1604)、関ヶ原の戦勝祝賽により、現存する本殿(国重文)・拝殿(県文)・楼門(県文)などをふくむ社殿30余棟の再建を行い、同14年には富士山頂上薬師嶽および内院の散銭、6月登山者の役銭を修理料として寄進した。

社殿
徳川家康再建の拝殿・幣殿・本殿(右は信玄桜2世)
徳川歴代将軍および大名

徳川家光は寛永18年(1642)、朱印領1,129石3斗6升を寄進(大宮司867石9斗1升、公文80石6斗2升、案主44石6斗2升、別当136石2斗1升)。以降歴代将軍が朱印領を寄せ、別途、祈祷・修造料も寄せた(家綱千両、綱吉2千両など)。

大名の崇敬もあつく、美作勝山藩主三浦明次は明和2年(1765)、自書した『富士山記』を奉納。平戸藩主松浦氏は参勤交代のおり、眼病平癒を祈願。ほどなく全快したことから、奉賽に銅製薬師如来を献じ、さらに毎年1体ずつ奉献した。

4.維新後

明治4年に国幣中社へ列し、同29年官幣大社へ昇格。同年皇太子(大正天皇)が参拝、桜樹2本を手植され、小松宮彰仁親王ならびに妃は松2本を手植し、「浅間神社」4字の親書奉納。大正5年には華頂宮博忠王・伏見宮博信王が参拝された。

戦後、「浅間神社」から「富士山本宮浅間神社」へ改称し、昭和57年に「富士山本宮浅間大社」へ改めた。平成20年、皇太子が富士宮口から富士登山された。

廃仏毀釈

明治初期、神仏を分け隔てて祀るよう「神仏判然令」が発せられた。浅間大社は神仏習合の社だったため、影響は甚大だった。境内にあった仏教系施設は除かれ、別当宝幢院以下、7坊1寺は還俗した。

明治7年には「富士山山掃除」と称された廃仏毀釈運動により、富士山中の仏像・仏器が取り除かれた。村山が管理していた山頂大日堂は浅間大社奥宮となり、薬師堂は久須志神社、雲霧不動は雲霧神社へ改称させられた。

徳川家康再建の社殿

本宮はJR富士宮駅より徒歩10分、市街地のただ中に鎮座している。神域はおよそ1万7,000坪。大鳥居から社殿まではすっきりと開かれ、500本以上の桜(御神木)に彩られて明るい雰囲気。一方、後方には常緑の社叢が深々と広がっている。

富士山を仰ぎつつ大鳥居2基をくぐり、桜並木の表参道をゆくと、やがて社殿群が見えてくる。丹塗り・檜皮葺きのうつくしい社殿だ。楼門拝殿幣殿・透塀(以上県文)・本殿(国重文)は、徳川家康が関ヶ原の戦勝祝賽として慶長9年(1604)に再建したもの。

第1大鳥居
第1大鳥居
楼門
楼門(県文)

重厚な楼門を入ると、玉砂利の清々しい境内に神殿と信玄桜2世がならぶ。本殿は「浅間造り」と称される特殊建築。宝殿造りに流造りをのせた2層構造で、ドレスに身を包んだ中世貴婦人風の優美なデザイン。最もうつくしい神社建築のひとつだろう。

本殿
徳川家康再建の本殿(国重文)

社殿東には湧玉池がある。富士山の伏流水が湧出した泉で、国天然記念物。古くから神聖視され、道者はここで身を清めて入峰する習わしだった。富士曼荼羅図には、湧玉池で水垢離する道者が描かれている。今は市民の憩いの場で、水鳥が羽を休めている。

湧玉池
湧玉池(国天然)。富士山の雪解け水が湧き出す
境内風景
第二大鳥居
第二大鳥居
表参道
桜並木の表参道
太鼓橋
輪橋
鏡池
鏡池
楼門
楼門。扁額は盈仁親王御筆
鉾立石
鉾立石。神幸で神鉾を安置
神域
楚々とした神域
春
春の風景
崇敬
崇敬あつめる
蟇股
桜(御神木)を彫った拝殿蟇股
拝殿向拝
拝殿向拝の彫刻
拝殿
拝殿と信玄桜
灯籠
富士浅間大菩薩銘
禊所
湧玉池の禊所
湧玉池
湧玉池
舎利木
昭和44年に枯死した信玄桜の舎利木

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奥宮および摂社・末社

奥宮

慶長14年(1609)、徳川家康が富士山頂上薬師嶽および内院散銭、道者役銭を修理料として寄進。のち山頂帰属をめぐり須走口や吉田口と争論になったが、安永8年(1779)の幕府裁定により8合目以上は浅間大社持分と確定。

明治5年に上地となるも、同25年に奥宮使用地、同32年に8合目以上を神域として回復。大戦後、土地所有権をめぐり国と争い、昭和49年最高裁判決で大社所属と確認された。

今日、富士頂上に奥宮と久須志神社(奥宮末社)が鎮座し、登山道に雲霧神社(旧末社)が鎮座。富士山噴火口を大内院、火口内底の大石を御霊石とする。

本宮境内の摂社・末社

本宮境内には、摂社2社と末社4社が鎮座。

【摂社】三之宮浅間神社、七之宮浅間神社、【末社】水屋神社、天神社、稲荷神社、厳島神社。

内陣に合祀された末社

安政大地震で大破、内陣に合祀された各社は次の通り。

荒神社、水神社、牛頭天王社、日之宮社、伊勢社、八幡社、辨天社(廻廊外)、追加明神、見目社、飯酒王子社。

事実上独立した摂社・末社(境外社)

事実上独立した摂社・末社(境外社)は次の各社。

【摂社】村山浅間神社米之宮浅間神社倭文神社富知神社若之宮浅間神社二之宮浅間神社、【末社】山宮浅間神社日吉神社若宮八幡宮金之宮福石神社八坂神社諏訪八坂山神社当所神社福之宮貴船神社小浅間神社悪王子神社稲荷神社琴平山神秋葉神社

富士山本宮浅間大社 年中行事へ

こんにちは大祭・中祭・小祭・恒例式に分けられ、合わせて100以上の祭礼が行われているという。

参考文献 由緒掲示板、リーフレット、浅間神社の歴史、官幣大社浅間神社略誌、淺間文書纂、富士山と浅間神社、駿河記、駿国雑志、駿河志料、駿河国新風土記、大宮町誌、静岡縣神社要覧、静岡縣神社志、静岡縣富士郡誌、富士郡神社銘鑑、富士宮市史、吉原市史、富士川町史、神立区誌、富士宮と富士山、白糸をめぐる郷土研究、富士をめぐる、式内社の研究、日本神社総覧、郷土資料辞典、富士宮市の伝統建築、日本社寺大觀神社篇、全国神社名鑑、静岡大百科事典、角川日本地名大辞典、日本歴史地名体系
(フォト最終撮影日:平成23年6月1日)
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