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須山浅間神社

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名称浅間神社せんげんじんじゃ [通称:須山浅間神社すやませんげんじんじゃ
所在静岡県裾野市須山柳沢722
主神木花開耶姫命
配神天津彦火瓊瓊杵命 大山祇命 天津彦火々出見命 天熊大人命
祭礼春季4月17日 開山式7月1日 閉山式8月31日 秋季11月23日
創建不詳社地1,500坪
神紋大和桜社格旧郷社
備考世界文化遺産推薦の構成資産、「史跡富士山」の構成資産(国史跡)、社叢(市天然)
神徳安産・子宝・火難除けほか
交通東名高速裾野ICより北西8km 駐車場有
  1. 由緒
  2. 境内概要
  3. 写真
  4. 関連リンク・参考文献

須山口の下宮

富士山須山口の起点に鎮座し、「富士山南口下宮」と号する浅間神社。須山口は古い登山道のひとつに数えられ、須山浅間神社はその下宮として登山者からあつく崇敬された。また夫婦相応の道、安産に御利益があると広く尊信されてきた。

大和桜
  1. 沿革
  2. 須山口登山道
1.創祀

古くは「富士浅間宮」「南口下之宮」「下之浅間社」「富士山南方司」「富士山南口方司」などと称した。祭神は、主神に木花開耶姫命、相殿に天津彦火瓊瓊杵命、大山祇命、天津彦火々出見命、天熊大人命。相殿4柱は文政6年(1823)の本殿再建時に奉斎された。

大禰宜・渡邊対馬守安吉の旧記(慶長3年/1598)によれば、創建は第12代景行天皇の御代(71~130)。日本武尊が東夷征伐の際に訪れ、希瑞により創祀した、としている。その後、欽明天皇13年(552)に蘇我稲目宿禰が再建し、天元4年(961)9月に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したという。

中世~江戸期

武門の崇敬あつく、源頼朝は文治2年(1186)に戦勝祈願し、武器および土地36町歩を奉献したとする。武田信虎は大永3年(1523)8月17日に願文を寄せ、太刀1口、具足、馬3頭を奉献。武田勝頼は天正7年(1579)12月に寄進文、今川・武田氏に仕えた安西平左衛門尉安臣らも戦勝祈願状および武具を奉献した。また大永4年(1524)の社殿再建棟札が残されている。

江戸期は小田原藩主から保護され、毎年幣帛が奉ぜられた。除地は3反13歩。地誌をみると、江戸後期の『駿河記』に「浅間社 富士登山南口也」、『駿河志料』に「浅間社」と載り、社の規模は本社2間×4間、幣殿3間半×1間半、拝殿4間半×3間、鳥居高1丈×5尺。ほか、末社として山神、子安社、稲荷社の名がみえる。

神職

神職は渡邊氏の世襲。慶長16年(1611)の棟札にも名がみえる。一時中絶して百姓になったものの、文化年中(1804~18)ごろ再興したという。祝は渡邊隼人。文化10年、名主一太夫(御師名渡邊隼人)が吉田家より神主再興に尽力したことを賞され、祝号を授けられた。他、御師11人、巫女2人がおり、主なる百姓がその職にあった。

2.須山口登山道

古い登山道のひとつ。史料上の初見は、正治2年(1200)の富士大炊頭定隆(浅間大社大宮司)手記で、「富士山東口珠山、南口大宮、北口吉田、右本道三筋、此外無道云々」とある(※文書の信頼性は疑問視されている)。このころは東口と称されたが、のちに須走口増設に伴って南口になったという。

くだって文明18年(1486)、聖護院門跡・道興法親王が「すはま口といふ所より富士のふもとにいたりて 雪をかき分て よそにみし富士の白雪けふ分ぬ 心のみちを神にまかせて」(『廻国雑記』)と詠んでおり、登山道の確たる存在が示されている。

栄枯盛衰

江戸期、富士講の隆盛とともに登山者は増加、須山口も大いに賑わった。起点の須山には御師が集落を形成し、道者の伝道・世話をした。御師は11人(祝を含めば12人)で、土屋、杉山氏を名乗った。

しかし、宝永4年(1707)の大噴火によって須山口は埋没。30余年後の宝暦年間に復興したものの、途中に休む場所もなかったことから利用者のすがたは稀であったという。完全復興は安永9年(1776)のことで、寛政年中になると室が設けられ、登山者も増加。富士山縁年はとくに賑わい、寛政12年(1800)は5,398人、万延元年(1860)は3,597人の登山者が訪れたという。

ところが、明治16年の御殿場口開通、同22年の東海道線・御殿場駅設置により、登山者は交通の便にすぐれた御殿場口へ流れた。さらに登山道周辺が旧陸軍の演習場となったため、須山口は完全に衰退してしまった。

しかし近年、須山口登山道を見直す気運が盛り上がり、平成9年に登山歩道が再興されると、同11年には下山歩道も開通した。

平成25年に社殿改築

川辺にたつ朱の鳥居をくぐると、両側に樹齢500有余年の老杉(御神木)が立ち並ぶ。凛とした空気、清々しい参道。神さびた佇まい。奥の段上に江戸期奉納の灯籠や水盤が並び、深い緑を背に朱色屋根の社殿が鎮座。社殿に関する記録として大永4年(1524)、慶長16年(1611)の棟札が残り、ともに市有形文化財に指定されている。

(…須山浅間神社は先ごろ社殿改築を行っており、弊ブログもそれにあわせてブラッシュアップ中。近いうちに本文および写真追加予定)

参道
参道
参考文献 由緒掲示板、公式リーフレット、富士山須山口登山歩道案内、駿河記、駿河志料、駿河国新風土記、明治神社誌料、静岡縣神社志、静岡縣神社要覧、浅間神社の歴史、駿東郡誌、全国神社名鑑、角川日本地名大辞典、日本歴史地名体系
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