廣国山先照寺

- -
記事本文へ
名称先照寺せんしょうじ [山号:廣国山]
所在静岡県富士宮市大中里11-1
宗派曹洞宗本尊地蔵菩薩
創建応永6年(1399)開基富士駿河守成時
開山純白融清和尚本寺山梨龍華院
寺紋久我竜胆末寺10か寺
交通JR西富士宮駅より徒歩25分 駐車場有
  1. 由緒
  2. 境内概要
  3. 写真
  4. 末寺
  5. 関連リンク・参考文献

大宮司富士氏が開基 武門が外護

先照寺は、古代寺院・廣国寺跡に創建された古刹で、富士宮市最古の曹洞禅刹といわれる。室町期に浅間大社・大宮司富士氏の支援で山容を整え、爾来、同氏の菩提寺として発展。今川、武田、徳川ら時の権勢者から庇護されてきた。

久我竜胆
  1. 廣国寺と先照寺の草創
  2. 室町期以降
1.廣国寺と先照寺の草創
廣国寺

前身とされる廣国寺は、奈良期の神亀3年(726)に行脚僧・満随沙門が富士浅間(富士山の神)に祈誓をこめて建てたと伝えられる。満随沙門とその弟子・満澄沙門が70有余年住山したが、その後は無住となって堂宇は荒廃、寺名が残るのみになったという。無論、今となっては口碑のみで、伝説の範ちゅうである。

先照寺草創

下って室町期の応永6年(1399)、豊後泉福寺の僧・純白融清が富士駿河守成時(富士山本宮浅間大社の大宮司)の助力を得て、廣国寺跡に曹洞宗先照寺(千勝寺)として再興した。

縁起によれば、富士成時が霊夢で「僧が参じている。この者を庇護せよ」と託宣を受けた。翌朝、成時が神域にゆくと1人の僧が誦経していた。純白融清である。聞けば彼も霊夢を見たといい、奇しくも内容は符合。両人、神慮の不可思議に感激し、ついには寺を創建した――。

寺名の由来

古くは「千勝寺」とも書かれた。「千勝寺」は開山が東行千里霊夢を感じて勝地を得たことから名付けられ、「先照寺」は朝日が早く照らし嶺雪(富士山の雪)を見る環境から名付けられたという。また山号「廣国山」は、旧跡の廣国寺による。

2.室町期以降
室町期から安土桃山期

先照寺として開創以降、大宮司富士氏や公文富士氏の菩提寺として発展し、また歴代の領主・武将からも外護された。

駿河国守護・今川氏は先照寺を祈願寺とし、今川義元は天文24年(1555)大宮司富士氏寄進の9貫260文余を安堵。弘治3年(1557)には検地増加分の1貫100文余を寄進している。氏真は永禄5年(1562)門前在家5軒の棟別ほか諸役を免除し、末寺神光寺領2貫200文も認めている。

武田信玄の駿河侵攻後は、同氏一族の穴山信友、信君(梅雪)親子からあつい庇護を受け、信友からは寺宝の蛇堂や本尊・延命地蔵菩薩像を寄進された(地蔵は信友が母の菩提を願い寄進)。このころ信君の命で、泉福寺末から甲州龍華院末になっている。

天正11年(1583)10月には徳川家康から10貫36文、同18年12月には豊臣秀吉から朱印16石を安堵された。

江戸期以降

江戸期は末寺40数か寺を抱え、朱印地16石のほか、門前17石が寺所有と保障され、境内地は約4,000坪、山林など含めると東西16町、南北22町に及んだ。

江戸中期の境内絵図をみると、渋川付近に総門がたち、そこから松並木の長い参道がつづく。黒門、薬医門を経て、左に隠寮・禅堂・衆寮、右に鎮守・鐘楼堂・東岳寺・庫裡などがあり、正面に仏殿(本堂)、開山堂が建ち並んでいた。

しかし、万治3年(1660)の火災や、宝永4年(1707)の富士山噴火にともなう地震で被災。幕末には住僧太秀が借財返済のため本堂・禅堂・祖堂・鐘楼を売却してしまい、さらに維新後の廃仏毀釈による上地、戦後の農地改革などで寺容はいちじるしく縮小した。

末寺は、多くが廃仏毀釈で廃されたが、いまも孫寺ふくめ10か寺(※)が存続している。末寺=延命寺千光寺、法蔵院、松岳寺、永源寺萬松院重林寺。孫寺(永源寺末)=永光寺、松雲寺、円通寺。※元孫寺=岳松寺。

平成19年に本堂改築

先照寺は、古い地名でいえば青見(あおみ、おおみ)にある。JR西富士宮駅から北西へ約2km、潤井川に架かる青見橋を渡ると青見の地で、寺は南北に長い中里山を負って東向きに建つ。山門から門前を見渡すと参道がまっすぐのび、やや左手に富士山がみえる。

山門前に庚申塔や巡拝塔などがあり、門をぬけると右手に六地蔵と六観音がずらり。いずれも江戸期の石造物だ。六地蔵は市内山本、六観音は同山宮の人が寄進し、また参道の古灯籠は同佐折の人の寄進。富士宮市一帯から信仰されていた様子がうかがえる。

山門
山門
六観音と六地蔵
六観音と六地蔵。観音は享保4年(1719)、地蔵は同2年の寄進

参道のはてに新しい本堂が建つ。平成19年に建て替えた寄棟造。旧本堂は寛文5年(1665)建立で大中里最古の建物だったが、老朽化や白アリ被害が進んだため改築に至った。新本堂は桧造で、漆喰塗の白壁が目にまぶしい。隣には壇信徒会館も新築された。

本堂
真新しい本堂

本堂の南は、きれいな植栽の庭園。そこに無着塔がある。先照寺開山・純白融清の師僧、無着妙融を祀る。その南側は墓地となり、納骨堂、歴代塔などが並ぶ。墓地経由で本堂裏山へゆくと山林が青々と茂り、林間に稲荷社が鎮座。2月初午に祭典を行っているという。

稲荷神社
稲荷神社
境内風景
遠景
遠景
山門
山門
巡拝塔
西国三十三霊場巡拝塔
祠
庚申塔
元禄10年の庚申塔
山門
山門
水子地蔵
水子地蔵
灯籠
元禄7年の灯籠
境内
境内風景
本堂
本堂と檀信徒会館
本堂
本堂
蟇股
本堂蟇股
無着塔
無着塔
歴代塔と納骨堂
歴代塔と納骨堂

より大きな写真で スライドショー を表示
写真一覧 を表示
末寺

記録により名が判明している末寺は40か寺余り。そのほとんどは明治期の廃仏毀釈までに廃されたものの、いまも孫寺をふくめ10か寺(※)が洞家の法幢をかかげている。

末寺=延命寺千光寺、法蔵院、松岳寺、永源寺(永源寺末=永光寺、松雲寺、円通寺)、萬松院重林寺。※元孫寺=岳松寺

参考文献 境内掲示板・石碑、曹洞宗廣國山先照寺縁起、駿河記、駿河志料、修訂駿河国新風土記、富丘村誌、富士郡村誌、富士川町史、大中里区誌、月の輪、日本名刹大事典、富士宮市の伝統建築、日本歴史地名体系、角川日本地名大辞典
(フォト最終撮影日:平成24年9月1日)
ページトップ