星山・黒田・原田・伝法を歩く
社寺9所お参り。
信孝寺・熊王山神社は初参詣。
午前中は雨空だったため、まったり資料整理。
昼前、止雨したため、いそいそと社寺参詣へ。
これといって計画もないため、
富士宮市星山・黒田をぶらぶら。
その後、夕刻から吉原で所用のため富士市へ行き、
時間調整に2社1寺をお参り。
飯森浅間神社は約2年ぶり。
拝殿の屋根が葺き替えられ(元は瓦葺き)、
壁も補修されてきれいになっていたものの、
樹木が多く伐採されてしまい、なんだか寂しい感じ。
三日市浅間では、可愛いお守りがあったので衝動買い。
倭文神社
富士宮市星山字坊地1。主祭神:健羽雷神、社格:式内社、旧村社。神代、反乱を企てた当地の星神・香々背男を、健羽雷神が討伐。その後、当地に留まった健羽雷神は、倭織・製紙を興して地域発展に寄与したため、守護神として崇め祀られたと伝わる。元浅間大社摂社。(11:48)→掲載
大悟庵
富士宮市星山9。宗派:曹洞宗、本尊:十一面観音菩薩。初め明星山福興寺(大阪久遠寺末)と称したが、兵火に罹って退廃。元亀2年(1571)4月17日、甲斐国深向院3世了月が武田家臣・跡部大炊助に請われ、福興寺跡に伽藍を再建、寺号を大悟庵に改めたという。(12:08)→掲載
星洞山信孝寺
富士宮市星山629。宗派:日蓮宗、本尊:曼荼羅。万治3年(1660)4月、里人・深澤庄右衛門が寺域を寄進して1宇を建立、安居山東漸寺10世日宣が開山となった。宝永4年(1707)、信徒・佐野忠太郎が観音堂を建立、天保12年(1841)に山崩れで壊滅するが、翌年再建。(12:25)
熊王山神社
富士宮市星山字上ノ原186。主祭神:熊王神、旧社格:無格社。創立年月不詳。棟札によると、弘化5年(1848)2月17日に再建している。農林業の神として崇敬され、かつて氏子は年3回、家業を休んで祭祀を行っていたという。昭和27年、倭文神社へ合祀された。(12:35)
鬼子母山自証寺
富士宮市黒田292。本尊:一塔両尊。高原街道沿いに構える日蓮宗寺院。応仁2年(1468)、処刑場だった当地に、里人が仏堂を建てて鬼子母神を祀ったのが起こりと伝わる。天正11年(1583)4月、真野六右衛門が開基となって新たに1宇を建立、日応を招いて寺とした。(13:10)
鷲目山本光寺
富士宮市黒田36。本尊:十界像。文永11年(1274)、イチョウの下で休息をとっていた日蓮に、遠藤夫妻が麦・柏餅・鵞目等を施行。感謝した日蓮、妻女の母乳の出が悪いことを聞くや、これを祈祷で治癒。のちに夫妻の子が日蓮に師事、故事地に本光寺を建立したという。(13:21)
飯森浅間神社
富士市原田字飯森東690。主祭神:木花之佐久夜毘賣命、旧社格:村社。伝承によると、治承4年(1180)の富士川の合戦時、源氏が当社に兵糧を置き兵士に守らせたことから、飯守明神と称するようになった。異説では、河内国の飯守山から飯森明神を勧請した。(14:15)
富知六所浅間神社
富士市浅間本町5−1。主祭神:大山祗命、社格:式内社、旧郷社。富士郡下方を信仰圏とした下方五社の1社。社伝曰く、孝昭天皇2年(前474)に富士山山腹で創祀され、のちに現在地へ遷座。弘仁2年(811)に皇后の安産祈願を奉仕以来、勅願所に定められたという。(14:55)→掲載
松林山妙永寺
富士市浅間上町10−2。宗派:日蓮宗、本尊:一塔両尊四士。六老僧日持が永仁3年(1295)に立ち寄り、説法を行った霊跡。のちに法華題目堂が建立され、日蓮宗の布教拠点となったという。延宝3年(1675)、日和が本堂・妙見堂・尊神堂を建立、現山寺号を公称した。(15:14)
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