岩本を歩く
秋分の日。
朝一、代信寺へ墓参りに行き、
そのまま富士市岩本を散策。
東から西へ社寺をめぐり、
実相寺からハイキングコースで岩本山公園へ。
琴平神社、永源寺、山神社は初参拝でした。
(永源寺は本堂再建中)
なお、岩本山は写真を撮り忘れ。
掲載写真は8月30日に富士川町木島で撮影。
↓は代信寺のわんこと、岩本山公園のねこ。
滝戸山代信寺
富士宮市山本1236。本尊:大曼荼羅。岩本山南東麓、山本と岩本の境にある日蓮宗寺院。『大宮町誌』は慶安元年(1648)に西山本門寺17世日隆が、『日蓮宗寺院大鑑』『山本区誌』は寛文11年(1671)に日義が開基と所載。山本勘助の父母木像と祖父の牌子を所蔵。(07:19)
八幡宮
富士市岩本字中州341。主神:応神天皇、旧社格:無格社。潤井川と富士早川のあいだに鎮座、通称は滝戸八幡宮。応仁2年(1468)、凶兆とされていた彗星の出現に驚いた人々が、安全を祈って創祀したと伝わる。境内社の山神社は承応3年、稲荷神社は正徳3年銘。(07:39)
旭町おしゃもっさん
県道鷹岡柚木線(176号)沿いに、鳥居と小さな木造社殿があり、なかに「社宮地之大神」の札を納めた石祠と奉納されたしゃもじ。『岩松の歴史散歩』によると、むかしから多くのしゃもじが納められ、歯が痛んだとき、そのしゃもじでさすると、傷みが治まると俗信された。(08:05)
琴平神社
富士市岩本1969。主神:大物主命・崇徳天皇、旧社格:無格社。岩本の街並みを見下ろす高台に鎮座。雁堤築造前の富士川は、現在よりも東方を流れ、社前の急坂を下ったところに船着場があったという。当社は、舟運関係の人々が安全祈願に勧請したと推測されている。(08:17)
曹洞山永源寺
富士市岩本1941。宗派:曹洞宗、本尊:釈迦如来。岩本山南麓にある。伝承によれば、空海が諸国巡歴のおり、真言道場・白金山永見寺として開創。永正8年(1511)、青見先照寺(富士宮市)5世寿天宗聖が再興して曹洞宗へ改宗、山寺号を改めた。江戸期は朱印高7石。(08:40)→掲載
八面神社
富士市岩本字辻畑2034。主祭神:八面大荒神(火産霊神・奥津比古神・奥津比売神)、旧社格:村社。大永6年(1526)、永源寺が現地に堂宇を建立したさい、地主神だった当社を鎮守として再建、後に遷宮。江戸期の呼称は「八面荒神社」、神仏判然令で永源寺と分離。(08:48)→掲載
山神社
富士市岩本字上伊奈1794。主祭神:大山祇神、旧社格:無格社。岩本山実相寺西側の坂道を150mほど上がったところに鎮座。実相寺と関係が深かったようで、元禄9年(1694)の棟札に知足院日進と記され、正徳元年(1711)銘の旧社殿は真乗院日清による建立。(09:30)
岩本山実相寺
富士市岩本1847。本尊:十界曼荼羅。岩本山のふもとにある日蓮宗霊跡本山。久安年間(1145~50)鳥羽法皇の勅願により、比叡山横川の智印が天台宗寺院として開創。正嘉2年(1258)に日蓮入山、経蔵で一切経を学び、『立正安国論』を起草。のち日蓮宗へ改宗。(09:49)→掲載
愛宕神社
富士市岩本字表山1899。主祭神:火産霊神、旧社格:無格社。岩本山公園の駐車場から実相寺方面へ徒歩2分。『富士郡神社銘鑑』などが紹介する古老の口碑によると、「文亀元年(1501)夏大霰降リシ時ニ此神ヲ祭ル」。御神像は白馬にまたがった明王風のすがた。(10:21)→掲載
岩本山
富士市南西部、東西に長いなだらかな山容を見せる(標高192m)。山林のほか茶畑・蜜柑畑が広がり、山頂付近に岩本山公園がある。昭和4年の『岩松村地史』には「農耕地、及び植林に適す」とあり、主な栽培物は「麦、陸稲、野菜類、茶園、柑橘、その他果物」と所載。(8/30木島)
岩本山公園
岩本山(標高192.7m)の山頂近くに13.20haの広さをもつ。昭和39年に都市計画決定以降、富士市が風致公園として整備を進めてきた。富士山や愛鷹連山、富士市街地を一望できる景観や、ウメ・サクラ・アジサイ・ツツジなどの観賞スポットとして広く知られている。(10:23)
松岡山永光寺
富士市松岡2409。本尊:観世音菩薩。松岡と岩本の境にある。もと真言宗寺院で四ツ家にあったが、明応年間(1492~1500)に洪水で流失。文亀2年(1502)に再興して曹洞宗へ改め、元禄7年(1694)に移転。明治初期、岩松小学校前身「巌松舎」が設立された。(11:04)
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