旧大宮町を歩く
旧大宮町界隈を散策し、冬篭り前のネタ集め。
日之出神社、第六天神社は初参拝です。
なお、七五三ということで浅間大社は大賑わいでした。
山本八幡宮
富士宮市山本字谷戸1。主祭神:応神天皇、旧社格:村社。創建年代未詳。かつては山本勘助の出生一族ともいわれる吉野氏が管掌、正八幡宮或は白山権現と称し、徐地1反1畝10歩。また、多田満仲が祀った、或は満仲を祀るとも伝えられ、社叢は多田の森と呼ばれる。(09:15)
富士山本宮浅間大社
富士宮市宮町1-1。主祭神:浅間大神(木花之佐久夜毘売命)、社格:式内社、駿河国一宮、旧官幣大社。富士山を崇める浅間神社の総本宮で、同山8合目以上は奥宮神域。武家の崇敬あつく、現社殿は徳川家康による再建。「浅間造」の本殿は国重文、湧玉池は国天然。(10:08)→掲載
福石神社
富士宮市元城町19-2。主神:大己貴命・猿田彦命・磐長姫命、旧社格:村社。浅間大社神職の公文富士氏が、屋敷神として奉斎したのが始まりで、社号は境内に突出している岩盤が由来といわれる。商売繁盛・子育てに霊験あらたかとされ、7月末の「茅の輪くぐり」も有名。(10:18)→掲載
稲荷神社
富士宮市大宮町6-18。主神:宇迦之御魂神、旧社格:無格社。大宮城内の蔵屋敷を守護する神として祀られたのが始まりで、廃城後は神田区の氏神となったとされる。通称、蔵屋敷稲荷神社。文化6年(1806)伏見稲荷より改めて勧請。現在の社殿は大正12年の再建。(10:23)
浄法山大頂寺
富士宮市東町3-28。宗派:浄土宗、本尊:阿弥陀如来。永禄元年(1558)8月に僧助諦が開基。もとは伝馬町にあったが寛永年間(1624~44)に連雀へ移転、享保年間(1716~36)に火災で堂宇・文書を焼失、6世冏但の代に再興した。江戸期は朱印高7石1斗1升。(10:42)
後富山平等寺
富士宮市東町4-24。宗派:浄土宗、本尊:阿弥陀如来。寺伝によると永禄4年(1561)9月、僧了公が「後富山願徳寺」として開創。天正年間(1573~91)伝馬町へ移転するとともに平等寺へ改め、のちに現在地へ移転。江戸期は朱印領3石2斗。山門は市指定文化財。(10:50)
十念山宗心寺
富士宮市矢立町168。宗派:浄土宗、本尊:阿弥陀如来。寛永3年(1626)11月、元大頂寺住職の信誉が「富士山宗心寺」として開創、のちに山号を十念山へ改めた。はじめ大頂寺末、延宝7年(1679)からは智恩院直末となった。観音堂は富士横道観音霊場第1番札所。(10:58)→掲載
日之出神社
富士宮市弓沢町247。瑞穂区の氏神で、日之出神社あるいは稲荷神社と称される。慶応4年(1868)、身延山久遠寺の西沢円鏡坊内の延寿稲荷を勧請。戦後、浅間大社末社となった。2月の初午と10月の神嘗祭に開扉、区民の長寿や家内安全、商売繁盛を祈願。(11:05)
小浅間神社
富士宮市弓沢町791。主神:火須勢理命(或は木花之佐久夜毘賣命)、旧社格:無格社。浅間大社末社で、以前は欠畑神社とも称した。慶安3年(1650)の『富士本宮年中祭禮之次第』に「正月13日 小浅間祭禮」とみえ、『本宮及末社間數坪數書上寫』には「社地580坪」。(11:10)
第六天神社
富士宮市源道寺字芝添130。主祭神:高皇産霊神・伊邪那岐神、旧社格:無格社。富岳館高に隣接して鎮座。創建未詳だが、江戸後期の地誌『駿河記』『駿河志料』に社名が見える。おそらく旧祭神は第六天魔で、明治期の神仏判然令で神道系の祭神に改めたと推測される。(11:17)
悪王子神社
富士宮市阿幸地町747。主祭神:火之御子神、旧社格:無格社。地名由来の社で、旧祭神は悪王子神(「強い」「猛々しい」御子の意)。社伝曰く貞観5年(863)に火伏せの神を祀り、富士山噴火防止を祈念。なお、中世~江戸期の阿幸地は浅間大社領で、当社は大社末社。(11:50)
稲荷神社
富士宮市阿幸地町581。主神:大宮姫賣神・宇迦之御魂神・猿田彦神、旧社格:無格社。創建年代未詳、元浅間大社末社。嘉永3年(1848)まで当社及び悪王子神社の祭祀は菊宝院(修験者)が司っていたが、以降は神職幸太夫前島氏の兼務。現在は悪王子神社末社。(12:02)
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