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村山浅間神社

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名称村山浅間神社むらやませんげんじんじゃ
所在静岡県富士宮市村山字水神1151
主神木花之佐久夜毘賣命
配神大山祇命 彦火々出見命 瓊瓊杵命 天照大御神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
創建伝:孝昭天皇2年(前474)例祭8月16日 開山式/7月1日
社地1,489坪神紋棕櫚の葉
社格旧県社神徳安産・子宝・火難除けほか
備考村山浅間神社の大スギ 村山浅間神社のイチョウ(県天然)、社叢(市保存樹林)、末代上人画像 阿字曼陀羅 太郎坊権現図 天象の図 胎蔵界大日如来坐像×2 金剛界大日如来坐像 役行者倚像 不動尊像(市文)、浅間大社元摂社、富士山世界文化遺産登録構成資産候補、国史跡
交通JR富士宮駅より北東8.5km 駐車場有
  1. 由緒
  2. 境内概要
  3. 写真
  4. 高嶺総鎮守(大棟梁権現社)
  5. 関連リンク・参考文献

富士修験(村山修験)の聖域

富士山最古の登山道である村山口は、山伏が支配する修験の道だった。拠点の村山には本山派修験の興法寺が成立、富士修験の聖域として栄えた。村山浅間神社は、かつて興法寺を構成した堂社のひとつで、「富士根本宮」「七社浅間」などと称した古社である。

棕櫚の葉
  1. 社号・祭神・本地仏
  2. 村山の起源
  3. 中世から江戸期
  4. 現在の村山浅間神社
1.社号・祭神・本地仏
社号および祭神

社号は、かつて「富士根本宮(ふじこんぽんぐう)」「富士神社」「七社浅間」などと称し、いまは「村山浅間神社」と称する。

祭神は、主祭神に木花之佐久夜毘賣命、相殿の左に大山祇命・彦火々出見命・瓊々杵命、右に天照大御神・伊弉諾尊・伊弉冉尊。

ただし神仏分離以前は、浅間大菩薩を中心に、相殿の左に三嶋大明神・箱根大権現・伊豆大権現、右に伊勢大神宮・熊野三所大権現・白山妙理大権現を祀った。(七社浅間の名称由来)

拝殿扁額
拝殿扁額「富士根本宮」
本地仏

修験道の社だっただけに、祭神それぞれに本地仏があった。域内の大棟梁権現社や末社をふくめ、下に列記する。

祭神 本地仏
浅間大菩薩 赫夜姫(木花開耶姫) 大日如来
三嶋大明神 大山祇命 寶生如来
箱根大権現 彦火々出見尊 文殊菩薩
伊豆大権現 瓊々杵尊 観世音菩薩
伊勢大神宮 大日貴尊 大日如来
熊野三所大権現
 
 
伊弉諾尊
速玉男
事解男
阿弥陀如来
薬師如来
観世音菩薩
白山妙理大権現
 
伊弉冉尊
菊理姫
釈迦如来
千手観音菩薩
大棟梁権現社 祭神 本地仏
大棟梁権現 末代 十一面観音菩薩
末社 祭神 本地仏
三寶荒神
 
 
大日如来
不動明王
文殊菩薩
八幡宮 応神天皇 阿弥陀如来
天神宮 菅原道真 十一面観音菩薩
水神 金剛界大日如来

注目は浅間大菩薩の「赫夜姫」。

中世から江戸初期、浅間神社の祭神(=富士山の神)は「赫夜姫」と考えられた。『竹取物語』のかぐや姫である。中世にさかのぼる『神道集』『富士山大縁起』『源氏物語提要』などに記述がみえ、広く知られていた説らしい。こんにちのように富士山の神=木花之佐久夜賣命が定着したのは、江戸中期以降のことだった。

村山の『富士山略縁起』や『富士山縁起』、富士山東泉院の『富士山大縁起』『東泉院御由緒書』などに具体例があり、村山浅間神社や富知六所浅間神社の祭神をかぐや姫とし、瀧川神社は愛鷹(=竹取の翁)、今宮浅間神社は犬飼(=竹取の嫗)を祀るとしている。

2.村山の起源
修験道の勃興

往古より浅間大神の坐す霊峰だった富士山は、仏教の伝来にともない神仏が混淆する霊場となった。ことに役小角の登拝伝説以降、著名な存在となったらしく、『梁塵秘抄』(平安末期)の霊験所歌には、伊豆の走井・信濃の戸隠・伯耆の大山・丹後の成相・土佐の室生・讃岐の志度とともに「駿河の富士山」が載る。

さらに平安期、末代が山頂に大日寺、村山に伽藍を造営すると、鎌倉期に末代の流れをくむ頼尊が富士行を創始。やがて富士修験(村山修験)が確立された。

霊峰富士
霊峰富士

そんな彼らの拠点となったのが、村山の富士山興法寺

浅間大菩薩をまつる浅間神社(村山浅間神社)をはじめ、本地仏の大日如来をまつる大日堂、末代をまつる大棟梁権現社など神仏両道の堂社と宿坊を擁し、別当村山三坊を中心に各地からつどう道者を管掌。富士修験の聖域として隆盛した。

ことに中世、村山口から山頂にかけて絶大な権限を握り、山中の勢力は富士山本宮浅間大社をもゆうに凌いだ。

村山浅間神社の創祀

社伝は、孝昭天皇2年(紀元前474)3月、富士山中腹の精水ヶ岳(御室)で創建されたとする。

崇神天皇41年(前57)7月、神地・神戸を賜り、景行天皇の御代(71~130)、東征した日本武尊があらためて祭祀。応神天皇御代(270~313)、武内宿禰が勅を奉じて社殿修造。大宝元年(701)、役小角が精水ヶ岳から村山に奉遷し、延暦19年(800)10月、坂上田村麻呂が勅を奉じて改修したという。

村山口登山道
村山浅間神社を起点とする村山口
3.中世から江戸期
村山と聖護院門跡

中世以降、村山は京都聖護院(本山派修験の総本山)直末だった。その結びつきは強く、聖護院宮は大峯修行のあと将軍加護加持のため江戸へ下向し、帰途、村山参詣を例としていた。

古くは聖護院門跡道興が文明18年(1486)に参詣し、「高ねには 秋なき雪の 色さえて 紅葉そ深き ふしの村山」と詠んでいる。近世も明らかなだけで、道尊親王が元禄年間(1688~1704)、道承親王が正徳4年(1714)、増賞親王が宝暦7年(1757)、盈仁親王が文化4年(1807)、雄仁親王が天保12年(1841)に参詣している。

雄仁親王
聖護院宮雄仁親王の碑伝
権勢者の崇敬

修験の一大拠点として賑わう一方、権勢者も崇敬をよせた。なかでも駿河国守護今川氏は村山を厚遇している。今川範忠は文明10年(1478)に社殿を寄進し、今川義元は村山を俗界権力の及ばない聖域と定め、神威維持に助力した。また駿・遠両国の山伏統括権を与えて北条氏の動向を探らせるなど、軍事的にも結びついていたようす。

天正8年(1580)北条氏の兵火によって社殿を失ったが、同年武田勝頼が鷹野因幡守徳繁を奉行に御室大日堂を再建。同11年には、徳川家康が堂社および諸末社を再建した。

豊臣秀吉は同18年に朱印領432石2斗を安堵し、徳川家光も寛永18年(1642)に216石1斗7升余を安堵。徳川綱吉は元禄10年(1687)、田中藩主太田摂津守資直を奉行に本地堂から諸末社にいたるまで大々的に再建している。

4.現在の村山浅間神社
廃仏毀釈

富士修験の一大拠点として権威を誇った村山。ところが、明治政府の誕生により運命は暗転した。新政府は国家神道政策をすすめるため、、神仏判然令・修験道禁止令を発した。これにより、

  • 富士山から仏教色を排除
    • 村山が管理していた山頂大日堂は富士山本宮浅間大社へ売却され、同社奥宮に。ほか、薬師堂は久須志神社、登山道の雲霧不動堂は雲霧神社へ改称され、仏教系の地名も改められた。明治7年には「富士山山掃除」と称された廃仏毀釈運動により、富士山中の仏像が壊されたり、下ろされた。
  • 富士山興法寺の変革
    • 末代を祀っていた大棟梁権現社は、祭神を大己貴命へ改められ高根総鎮守に。本地大日堂と浅間神社は境域を分けられ、間に柵が設けられた。浅間神社は浅間大社の摂社に組み込まれ、富士山中の仏像が集められた大日堂はかたく戸締め。村山三坊は復飾し、富士山興法寺は文字通り解体された。

三位一体だった浅間神社・大日堂・大棟梁権現社と、別当村山三坊による管理体制は崩壊。村山は「修験道」というアイデンティティを失い、権威も奪われた。

現在

神道に属するようになった浅間神社は、明治8年に村社へ列し、大正13年に県社昇格。戦後、「村山浅間神社」として神社本庁包括の宗教法人となった。その一方、本地大日堂は単立の宗教法人となり、いまは同一境内に2法人が共存するかたちとなっている。

修験の名残とどめる

標高約500m。市街地から遠くはなれた小さな集落が、かつて修験者でにぎわった村山の地。村山浅間神社は、樹高47mに達する御神木(県天然記念物)をはじめ、杉の古木が生い茂る「浅間森」に抱かれ、山の深い神気と静寂につつまれている。

御神木
御神木の大スギ

並列する2筋の参道は、並び立つ村山浅間神社と大日堂へつづく。鳥居を有する左の参道が村山浅間神社、なにもない右の参道は大日堂のそれ。いずれもかつて「富士山興法寺」を構成していた堂社だが、いまは登記上、別法人となっている。

また、両建物の間から奥へつづく階段のはてに高根総鎮守が鎮座。廃仏毀釈前は「大棟梁権現社」と称し、富士修験の中興・末代を祀っていた社だ。村山浅間神社、大日堂、高根総鎮守(大棟梁権現社)の3堂社が、今も昔も村山の中心である。

参道
浅間神社参道
拝殿
拝殿。奥に大棟梁権現社の鳥居

境内を見渡すと、水垢離場や護摩壇、宝篋印塔、富士峰大願成就祈念碑などが現存し、今なお修験の面影を色濃くとどめる。また大日堂には大日如来像や不動明王像、役行者像など修験ゆかりの仏像のほか、聖護院宮雄仁親王の碑伝などが納められている。

護摩壇
護摩壇
境内風景
参道
浅間神社参道
鳥居
二の鳥居と御神木の大イチョウ
狛犬
狛犬
大スギ
御神木の大スギ
不動明王
苔むした不動明王
拝殿
拝殿
本殿
本殿
御神木
御神木の大イチョウ
祠
参道脇に水垢離場
境内風景
境内風景
祠
富士峰大願成就祈念碑
富士峰大願成就祈念碑
宝篋印塔ほか
江戸期の宝篋印塔や観音、地蔵

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高嶺総鎮守(大棟梁権現社)

浅間神社や大日堂とともに「富士山興法寺」を形成した堂社のひとつ。かつては富士修験の祖末代をまつり、大棟梁権現社と称した。神仏分離令により祭神を大己貴命に改められ、社号を富士大神社へ改称。のち高嶺総鎮守とした。分社が粟倉などで祀られている。

高嶺総鎮守参道
高嶺総鎮守参道
末代(富士上人)

平安末期に活躍した駿河国の僧。岩本実相寺を開創した智印法印(阿弥陀上人)の弟子で、鳥羽上皇らに大般若経の書写をすすめたと記録されている。

『本朝世紀』(平安末期)の久安5年(1149)4月16日条は、

「鳥羽上皇のもと大般若経の書写が行われ、卿士・太夫・男女など多くの人々が参加。これをすすめたのは駿河国の富士上人、その名を末代という。彼は富士山に登ること数百度、山頂に大日寺を建立した。また越前国白山の竜池の水をくむなど非凡な力を持ち、関東庶民に一切経の書写を勧めた。上人は法皇に大般若経を献上したため、法皇とも結縁ができた」と紹介。

岩本実相寺

下って文永5年(1268)に岩本実相寺の衆徒が鎌倉幕府に送った『実相寺衆徒愁状』は、「実相寺初代院主である智印(阿弥陀上人)は鳥羽院の帰依僧で、末代上人の行学の師匠なり。三密を修め、戒律をまもり、仏法の隆盛につとめた」と所載。

さらに室町期の『地蔵菩薩霊験記』は、「末代は富士山中腹で百日の断食修行をしたとき、浅間大菩薩の神託をうけ、1尺8寸の御岳状の水晶を得た。そこで水晶岳と名付けた宮殿を造って水晶を奉納し、麓の村山にも伽藍を造営。最後は即身成仏し、大棟梁と号して富士山の守護神となった」と記す。

粟倉
村山から分社した粟倉の大棟梁権現
参道
 
参道
参道
社殿
扁額
参考文献 境内掲示板、村山浅間神社調査報告書、駿河記、駿河国新風土記、駿河志料、富士郡村誌、旧富士根村沿革誌、浅間神社の歴史、富士郡神社銘鑑、静岡縣神社要覧、静岡縣神社志、日本社寺大觀神社篇、山岳修験第6号、村山浅間神社の歴史と信仰展、西富士100の素顔、全国神社名鑑、富士山表口「村山」の歴史、季刊わがまち、月の輪、神道事典、富士八海をめぐる、富士山縁起の世界、富士宮市の伝統建築、富士宮市の棟札集成、富士宮市の文化財、日本歴史地名体系、角川日本地名大辞典
(フォト最終撮影日:平成23年3月19日)
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