宝永6年創建 今切の渡しの渡海守護神
 | 青々とした水面が広がる浜名湖 観光シンボルタワーが建っている |
青々とした水面が広がる浜名湖。ここに、海水浴や潮干狩り場として有名な島がある。弁天島だ。明治中期以降、旅館や別荘が相次いで建ち、浜名湖有数の観光地となった。名称由来は島内の辨天神社。弁天島駅の東100m、観光ホテルに挟まれた小社がそれで、海上安全・漁業守護の神として敬愛されている。
浜名湖はもともと淡水湖だった。ところが、明応7年(1498)の大地震に伴う高潮で、海岸が決壊。「今切口」と呼ばれる水路が生じ、遠州灘と繋がった。弁天島は、このとき海岸と切り離され誕生した、という。はじめは「狐島」「西之野」などと呼ばれたが、宝永6年(1709)に今切渡船の航行安全を願い、辨天神社(埼玉県川越市)が勧請されて以降、弁天島と呼ばれるようになった。
 | 国道に北面する神域 |
神域は国道1号沿い。30m南は弁天島海浜公園で、目と鼻のさきに浜名湖が広がっている。鳥居をくぐると、ごく小さな境内に拝殿・本殿がたち、御神木「天女の松」が寄り添う。社殿はツヤのある朱塗り。はなやかで、色っぽく、美女の誉れ高い祭神を連想させる。海上安全の石柱、正岡子規らの句碑も点在する。
例祭は6月第4土・日曜日。一升・二升の自治会によって催され、大太鼓と屋台が引きまわす、という。なお、毎年7月第1土曜日に行われ、浜名湖に夏の訪れを告げる「弁天島温泉海開き花火大会」は、大正初期、当社祭礼の余興として奉納されたもの。昭和38年から規模は拡大。仕掛け花火や2尺玉など約3千発が打ち上げられ、数十万人の見物客が訪れる大イベントとなった。
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参考文献 境内掲示板、舞阪町史、舞阪町歴史散歩、浜名湖・自然と歴史と文化、日本歴史地名体系、角川日本地名大辞典 |
(フォト撮影日:平成21年1月17日) |