室町期開創の古刹 墓地に姉川一夢、曲渕甲斐守の墓碑
 | 寺域遠望。大きなクスノキが目印 |
下和田の本国寺は、大永5年(1525)に北山本門寺7世日国によって開かれた日興門流の日蓮宗寺院。山号は成就山。『今泉村誌』によると、日国は国主・今川氏親の支援をうけて当地を巡錫し、今泉字城山に本国寺、原田に光養院を建立した。
のち本国寺は城山から現在地に移転。寛政3年(1791)には客殿修繕、鐘楼堂建立など寺域整備を行なった。これらの堂宇は安政2年(1855)の大地震で倒壊したが、20世、21世の2代かけて復興を果たしている。なお、江戸期は塔中に本妙坊、鬼子母神堂、末寺に光養院(原田)、善入庵(伝法)があり、北山本門寺末の本住寺(比奈)も管掌したが、いずれも維新後に廃された。
 | 入母屋造りの本堂 |
寺域は根方街道・和田町交差点の北東50m。往来から1筋外れた坂道の上り口にある。東に開いた山門から境内に入ると、正面に黒い鐘楼堂、右手に南向きの木造本堂。山門は小ぶりな薬医門で、欄間などに意匠をこらした透かし彫り。瓦葺きの長い屋根が重厚な本堂は、大正12年再建の入母屋造りである。
境内東側は墓地となり、墓碑に囲まれて菩提樹(市天然)やクスノキがたつ。クスノキは無指定ながら、本堂の屋根をゆうに超す巨木で、繁茂した枝葉が遠くからでも目に入る。墓地には江戸期に活躍した著名人の墓碑・供養碑が点在。郷土誌『田子のふるみち』の著者・姉川一夢、江戸後期の俳人・松木乙児、江戸町奉行や勘定奉行を歴任した曲渕甲斐守及び一門など。
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参考文献 駿河記、駿河志料、皇國地誌編輯、本門寺並直末寺院縁起、富士市の寺院、富士市の仏教寺院、静岡県仏教会名鑑、日蓮宗寺院大鑑、全国寺院名鑑、今泉村誌、日本名刹大事典 |
(フォト撮影日:平成19~21年。最終4月23日) |