福壽山 瑞林寺
![]() 参道からの本堂。伽藍・参道・石垣は市文指定 |
名 称 所 在 静岡県富士市松岡489
宗 派 黄檗宗
創 建 延宝2年(1674) 本 寺 宇治万福寺
開 基 古郡孫太夫重政 開 山 鉄牛道機禅師
本 尊 地蔵菩薩 寺 紋 丸に三つ葵
鎮 守 毘沙門堂 八僧稲荷
備 考
交 通 JR竪堀駅より徒歩8分 駐車場有
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古郡重政開基、開山は黄檗三傑の鉄牛
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境内風景 |
市西部を貫流する大河、富士川。日本三大急流の1つとして知られ、以前は氾濫を繰り返した暴れ川だった。その東岸に強固な堤・雁堤を築き、「加島五千石」と呼ばれた水田地帯を作ったのが、駿州・加島代官の古郡氏。瑞林寺は、雁堤完成と同じ延宝2年(1674)に開かれた黄檗宗寺院で、古郡氏の菩提寺である。
開山の鉄牛道機が記した『瑞林禅寺記』によると、前身は清泰寺という天台宗寺院であり、現在地よりも北方にあったという。それが天正年間(1573~92)の富士川洪水で被災。わずかに茅堂1棟が残された。正保2年(1645)、新田開発を進めていた古郡孫太夫重政は、三河の僧・沢隠の要請に応じ、清泰寺を松岡村に移転復興。沢隠を住職に迎え、寺号を天岳寺(臨済宗)に改めた。
寛文4年(1664)、重政が死去。葬儀は盛大に行われ、導師に紹太寺(小田原)住職の鉄牛が招かれた。10年後、重政の次男・文右衛門重年は雁堤完成を機に、無住となっていた天岳寺を再興。鉄牛を開山に請い、宗派を黄檗、寺号を瑞林寺に改めた。以後、重年・年明父子が大檀越となって寺観を整備。元禄8年(1695)5月5日、正式に普山式を行った。
侘びた山門を抜けると深々とした境内が広がり、左右に枡形の石垣が続く。苔むした地面に木漏れ日が差し込むようすはひどく風趣。伽藍は黄檗宗らしい中国様式で、周辺寺院とは一線を画す佇まい。本堂裏の池畔で枝葉を広げるモッコク・ヒイラギは市天然、本尊の地蔵菩薩は治承元年(1177)作で国重文。山門の扁額は鉄牛揮毫で、約300m東方の墓地には古郡一族の墓がある。
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牌楼様式の山門(八脚門) | 山門を抜けると枡形の参道 |
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閑寂な境内 | 本堂は入母屋造り |
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境内の地蔵たち。後ろは毘沙門堂 | 一重もこし付鐘楼 |
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市天然記念物のモッコクとヒイラギ | 本尊安置の大願王殿 |
参考文献 境内掲示板、瑞林寺伽藍現況調査報告書、駿河記、修訂駿河国新風土記、駿河志料、岩松村誌、岩松村地史、富士市の寺院、富士市の仏教寺院、全国寺院名鑑、富士川と通船の歴史、月の輪、文化財めぐり、郷土資料辞典、日本名刹大事典 |
(フォト撮影日:平成17年~21年。最終7月20日) |
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2011年2月19日
藤沢山妙善寺で 千手観音菩薩のご開帳があり 静岡県富士市に行きます。
法要が午後2時からと云う事は 分っていたのですが 渋滞に巻き込まれると
詰らないので 所沢を午前6時に出発です。
巡った寺と 時間は 以下の通りです。
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