織田信長の首塚を供養
西山本門寺には、本能寺で自刃した織田信長の首を納めたと伝える首塚がある。「信長公黄葉まつり」は、首塚供養と地域おこしを兼ねて平成12年に始まり、今年は節目の10回目。「国民文化祭しずおか2009」とタイアップし、例年以上の盛り上がりをみせた。
午前、供養祭が織田家当主参列のなか厳かに催された。境内では、特産品販売の「楽市楽座」や野点が開かれ、特設ステージで敦盛(舞)や居合、子どもたちの剣道野試合や空手演武など、武将信長にふさわしい演目がつぎつぎと披露された。
また本堂では、歴史作家・安部龍太郎氏が『謎に迫る! 富士山麓に埋められた信長の首』と題して講演。信長と日蓮宗の関係、信長と朝廷・イエズス会の対立など、本能寺の変をとりまく時代背景を、現在の政治状況などに喩えながら解説した。
午後2時ごろから、花形の火縄銃演武。甲冑・旗指物(永楽銭、織田木瓜)や赤い陣羽織に身を包んだ駿府古式砲術研究会「駿府鉄炮衆」(富士市木島)13人が、横1列あるいは2列に並んで「立放し一斉射ち」や「膝台釣瓶射ち」、「前後二段構え釣瓶射ち」などさまざまな撃ち方を実演。お腹に響くような轟音と白煙を上げた豪快な演武は、つめかけた見物客をおおいにわかせた。
県指定天然記念物
この大柊は天正10年6月2日、京都本能寺の変にて討死した織田信長の首を、囲碁の名人と言われた本因坊日海の指示により原志摩守宗安が信長と共に自刃した父胤重と兄孫八郎清安の首と共に炎上する本能寺より持ち出し信長の首を、ここ駿河の当山に納め首塚を築き柊を植えたものです。
108代御水尾天皇の御息女、常子内親王の厚い御帰依を得られた当山中興の祖、18代日順上人は原家の御出身であられ御自筆の内過去帳に本因坊日海、織田信長の法号を記し手厚く御回向されておりました。
目通り3.6m 根元周囲4.6m 樹高17m 推定樹令4~500年
『案内板』より転載
大ヒイラギ
開会式
信長公首塚の供養祭
大賑わいの境内
本堂で舞踊(藤娘)
駿府鉄炮衆による大迫力の火縄銃演武