今井山 大運寺
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名称 所在 静岡県富士市中央町3-6-21
宗派 浄土宗 本尊 阿弥陀如来
創建 永徳元年あるいは応永20年 開山 乗蓮社大譽上人了善大和尚
中興 故極大和尚 本寺 京都知恩院末
寺紋 丸に三つ葵(山門、本堂) 鎮守 子育稲荷
交通 岳南鉄道吉原本町駅より徒歩13分 駐車場有
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室町期に今井地区で開創
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小ぶりだが端正な山門 |
東海道吉原宿の西寄りに構えている浄土宗の寺院。室町期、僧了善が元吉原の今井地区で開いたことから、正しくは「今井山 了善院 大運寺」という。江戸期、宿場とともに移転を重ね、天和2年(1682)に現在地へ定まった。
開創年月は2説ある。多くの資料が応永20年(1413)とする一方、『大運寺再興縁起』は「永徳元年(1381)創舎」と所載。いずれも開創経緯は触れていない。なお『駿河記』などは、了善の入滅を「応永20年5月17日」としている。
当時は「了善寺」と称し、今井地区の東端、いま元吉原小学校や稲荷神社が建っている付近にあった。西隣に称念寺があり、さらに毘沙門堂と妙祥寺がならび、その道向かいには唯称寺があったらしい。
下って江戸初期の寛永年間(1624~43)、火災で堂宇を失う。ほどなく鎌倉からきた僧故極が再建、寺号を大運寺に改めた。
寛永16年(1639)、吉原宿が今井から依田橋付近に所替すると、大運寺もほかの寺ともども移転した。「中吉原宿」と呼ばれるこの時代は、宿の東寄り(和田川の河畔)に位置し、そばに唯称寺や保泉寺、妙祥寺、天神社があった。
しかし中吉原宿は延宝8年(1680)閏8月6日、高潮にのまれて壊滅。翌年から新吉原(現吉原商店街)への所替が始まり、大運寺も天和2年(1682)に移転再建。
幕末の安政元年(1854)には大地震で堂宇倒壊。2年後の安政3年(1856)正月に本堂、さらに慶応2年(1866)10月そのほかの堂宇を整備している。
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整備され、すがすがしい境内 |
吉原宿の西木戸跡から東へ歩くこと2分余り。民家のはざまに門柱がたち、きれいな石畳の参道が奥へ続く。傍らに石地蔵が座り参詣者を迎えている。参道をすすみ山門をくぐると、さほど広くはないが手入れの行き届いた境内となり、中ほどに本堂や庫裏がならぶ。
いまの山門、本堂は大正6年再建。寄棟造りの本堂は、小ぶりながら屋根と本体のバランスが優れていて端正。向拝の蟇股に孔雀・松・牡丹、頭貫に亀、木鼻に獅子と象の立派な彫刻を施し、屋根にちょこんと乗るしゃちほこがワンポイント。
本堂裏には鎮守の子育稲荷大明神。伏見稲荷大社の使い(狐)が置いていった金の火箸を祀ったものと伝えられる。子育てや子供の夜泣きに霊験あらたかという。
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参考文献 田子のふるみち、駿河記、修訂駿河国新風土記、駿河志料皇國地誌編輯、富士郡吉原町・島田村組合沿革誌、静岡県仏教会名鑑、富士市の寺院、富士市の仏教寺院、東海道吉原宿、鈴川の歴史、市立博物館常設展示 |
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