田嶋山 妙福寺
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名称 所在 静岡県富士市津田町83-1
宗派 日蓮宗 本尊 一尊四士
創建 不詳 開山 正行院日受上人
本寺 寺紋 日蓮宗橘
交通 岳南鉄道ジヤトコ前駅より徒歩11分 駐車場
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江戸初期に開創
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外観。塀から植栽がのぞく |
妙福寺は潤井川左岸の荒田島(現住所表示は津田町)にある日蓮宗寺院で、岩本実相寺末派に属する。もとは田島地区にあったことから、山号は「田嶋山」。島田地区唯一の寺である。
開創年は諸説あって判然としない。
実相寺の江戸期文献(『寺院御改書上扣帳』『末寺寺院御改書上帳』)では一切不詳となっているが、大正期『富士郡吉原町・島田村組合沿革誌』は元和元年(1615)開創、昭和期『日蓮宗寺院大鑑』などは慶長10年(1605)田島村で開創し天和2年(1682)現在地へ移転、としている。
移転理由は触れていないが、2年前の延宝8年(1680)に発生した台風が原因だろう。江戸期最大級といわれるこの台風は東海地方各地に高潮を生み、富士地域も甚大な被害を受けた。中吉原宿が押し流され、中吉原宿および寺町で84人、その南方の田島村でも22人が流死。無縁旅人も数知れず――だったらしい。
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白色基調の鉄筋コンクリート製本堂 |
記録を見ると、安政元年(1854)の大地震で堂宇が倒壊している。時の住職25世日泉は復旧を試みたが、檀徒は再度の災害を恐れ傍観したという。荒田島村は明治17年時点(『皇國地誌』)で本籍16戸、人口71人の小集落にすぎず、しかも江戸期は浄土宗、真言宗の寺もあった。わずかな檀徒での再建は難しかったのだろう。
そこで日泉は単身江戸に出た。谷中信行寺(実相寺末頭)にとう留し、毎日ずだ袋を下げ托鉢して歩いた。こうして集めた浄財で、翌年の安政2年(1855)宗祖像、同4年本堂、同5~6年法華経10巻や什器を整えたという。往時の苦労がしのばれる。
近年は昭和46年に本堂、昭和55年に庫裏・書院を再造営し、平成7年10月に山門・外塀を建立。境内地の拡充整備をすすめ、寺観を整えている。
妙福寺は現在、旧国道1号からわずかに南下した閑静な住宅地に塀をめぐらせている。東に開かれた山門から入ると、すぐ目の前に角張った本堂がたち、右に庫裏が寄り添っている。山門から本堂までは10歩ばかりと決して広くはないが、足元に細かい砂利を敷きつめ、前庭に多彩な植栽や岩を配し、景観に潤いを与えている。
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参考文献 実相寺文書(富士市史資料目録)、駿河記、駿河國新風土記、駿河志料、皇國地誌編輯、富士郡吉原町・島田村組合沿革誌、日蓮宗寺院大鑑、富士市の寺院、富士市の仏教寺院、角川日本地名大辞典、日本歴史地名体系 |
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