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重須本門寺(北山本門寺)

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名称本門寺ほんもんじ [山号:富士山ふじさん] (通称:重須本門寺おもすほんもんじ北山本門寺きたやまほんもんじ
所在静岡県富士宮市北山4965
宗派日蓮宗寺格大本山
本尊曼荼羅創建永仁6年(1298)
開基石川能忠開山白蓮阿闍梨日興上人
寺紋鶴の丸、三巴鎮守垂迹堂、重須大神
備考貞観政要巻第一 藍紙細字金字法華経(以上、重文)、曾我物語重須本(県文)、題目杉(県天然)
交通JR富士宮駅より北6km 駐車場有
  1. 由緒
  2. 境内概要
  3. 写真
  4. 塔頭・末寺
  5. 関連リンク・参考文献

六老僧日興開山の名刹

県道414号と国道469号が交わる「本門寺入口」交差点から東へわずかに歩くと、本門寺の豪壮な仁王門が現れる。地名を冠し「重須本門寺」「北山本門寺」などと呼ばれるこの寺は、日蓮の高弟日興が鎌倉期に開いた古刹。いまは日蓮宗大本山に列している。

鶴の丸
三巴
  1. 草創
  2. 中世
  3. 江戸期以降
1.草創

日興日蓮入滅後、甲斐国・身延山久遠寺で祖廟の輪番守塔にあたった。しかし、地頭波木井実長らと教義上の確執が生じたため、正応元年(1288)12月に離山。布教拠点だった駿河国富士郡におもむき、熱心な法華信者だった上野郷地頭南条時光に迎えられた。

日興は正応3年、南条氏の寄進により大石寺を建立。次いで重須郷に移り、日蓮十七年忌にあたる永仁6年(1298)2月15日、重須郷の地頭石川能忠や南条時光、小泉法華衆、上野講衆の協力により、御影堂・本化垂迹天照大神宮・法華本門寺根源の3堂を造営した。本門寺の始まりである。

また檀林の重須談所を設立。正慶2年(1334)に入滅するまで、重須で後進育成にあたった。

題目杉
日興が植えた題目杉(県天然)
西山と分裂

日興入滅後、高弟日代が重須本門寺を継承した。しかし地頭石川氏や衆徒と対立し、康永2年(1343)重須を離山。日代は西山の領主大内安清に招かれ、同所に西山本門寺を建立。宗門は二分した。

以降、両寺は正嫡・寺号相承をめぐって相論を続けつつも、日興門流の中核寺院として発展していく。

養運坊
日代が開いた塔中養運坊
2.中世
今川氏の崇敬

重須本門寺は中世、駿河守護今川氏歴代のあつい保護を受けた。今川氏親は永正12年(1515)6月、7世日国に日蓮の正嫡であることと「本門寺」の寺号相承を認め、大永2年(1522)3月には守護不入の安堵や棟別・諸役の免除を行っている。

今川氏輝は享録3年(1530)1月、諸役免除や寺号相承を重ねて安堵。今川義元も天文5年(1536)9月、北山重須郷一円の百姓職や諸役免除を安堵し、同13年にも判物で当寺を保護した。

苦難

ところが、武田信玄の駿河侵攻を境に、重須を取り巻く状況は暗転した。駿河を奪った武田氏は、西山本門寺を外護し、重須を冷遇した。(時の西山住職日春は武田氏出身とも)

永禄12年(1569)2月4日、信玄の駿河侵攻による兵火で伽藍焼失(天正6~7年再建)。天正9年(1581)3月17日には、武田氏の奉行増山権右衛門と西山衆、興国寺奉行衆が重須に押し入り、重宝100余点を略奪した。重須は同月27日、武田氏に重宝の返還を訴えたが、受け入れられなかった。まさに冬の時代である。

家康と鉄砲御本尊

しかし武田氏が滅び、徳川家康の治世になると、重須本門寺は家康の外護を受けた。

家康は天正10年(1582)甲斐攻略のさい、重須に武運長久の祈祷を要請し、9世日出は日蓮直筆の曼荼羅(鉄砲御本尊)を貸与。戦後、家康は曼荼羅のおかげで鉄砲の難を避けられた礼に陣羽織を納め、さらに日出が望んだ用水路の開削に着手。井出志摩守正次の指揮により、同年12月本門寺堀(北山用水)が完成した。

本門寺堀
境内を流れる本門寺堀(北山用水)

また、武田氏に奪われていた重宝の一部が、家康の重臣本多正信、甲斐の平岡岡右衛門によって返還されている。

天正18年(1590)3月10日、徳川家康の5か国検地により、寺内・門前をのぞく寺領が180俵と確定。同年12月28日、豊臣秀吉から寺領50石や諸役免除などが認められた。

3.江戸期以降
江戸期の寺格および規模

江戸期は日蓮法華宗勝劣派の一本寺で、朱印50石。年頭御礼の江戸参府では帝鑑間詰、独礼席、乗輿御免の資格を有した。

天明6年(1786)の『法華宗勝劣派北山本門寺派寺院本末帳』を引くと、塔頭28か寺、末寺43か寺。安政3年(1856)10月の『諸末寺書上扣』では、本末合わせて99か寺で、うち直末41か寺、孫末4か寺、塔頭48か院(26か院は畳置)、持庵5か院の規模だった。

宝樹院・泉光院の崇敬

寛永18年(1641)8月、14世日優は3代将軍家光の側室お楽の方(宝樹院)の安産を祈願。その報恩としてお楽の方は、緋紋白の五条袈裟、金入七条袈裟を寄進し、のち日優に書状も送っている。

またお楽の方の母・泉光院増山氏は万治元年(1658)、江戸目白台へ泉光山蓮華寺を建立して重須本門寺末とし、日優を開山に招聘。貞享元年(1684)12月2日には、本門寺五重塔の建立資金として金300両を寄せ、ほかにも山門や黒門などの造営に尽くした。

五重塔跡
五重塔跡
本門宗と三派合同

明治9年、重須本門寺をふくむ富士門流の8本山(重須本門寺、上条大石寺下条妙蓮寺、小泉久遠寺、西山本門寺、伊豆実成寺、京都要法寺、保田妙本寺)および関連諸山は、「日蓮宗興門派」を結成し、同32年「本門宗」へ改称した。重須本門寺は同宗総本山で、宗務院がおかれた。

同33年、大石寺が末寺とともに本門宗より独立し、「日蓮宗富士派」を公称。大正元年、「日蓮正宗」へ改称した。

本門宗は昭和16年、日蓮宗、顕本法華宗と三派合同を行い、日蓮宗を結成。重須本門寺は同宗七大本山のひとつとなった。現在は興統法縁の縁頭寺。

昭和61年に仁王門再建

仁王門の南2km、外神の甲州街道から参詣道が分かれている。追分の道しるべには「本門寺道 従是十五町五拾間」。道はまっすぐで、一部は草に深く埋もれて古道の趣。昔はここに土手門、冠木門、総門、三門が建っていたが、いまは礎石が名残をとどめるのみ。

道しるべ
道しるべ
参詣道
参詣道

やがて左右に塔中が現れ、これを通りすぎると仁王門につく。市街地から遠く、杉や桧、桜の木々に抱かれた静かな環境だ。門をぬけると左手に法喜門、正面に二天門。法喜門の奥には客殿や大庫裏、題目杉がたち、二天門の先には本堂や開山堂、鐘楼堂などがある。

仁王門堂
昭和61年再建の仁王門

本堂の後ろは一面、ほの黒い林となっている。静謐な空間だ。杉桧のあいだに下草や苔が生え、その緑の絨毯へ木漏れ日がまだらに落ちる様子はとても美しい。そこに、ふたつの社が鎮まっている。本化垂迹天照大神宮と重須大神。林に溶け込み、「聖」を濃く漂わせる。

本化垂迹天照大神宮
本化垂迹天照大神宮

なお重須本門寺はしばしば火災にあい、古色を帯びた建物は少ない。特に明治43年の火災では、五重塔をはじめほとんどの堂宇を失ってしまった。のち復興は進んだものの、五重塔はいまだ再建にいたらず、偉容を誇っていた旧観に復したとは言い難いようだ。

境内風景
参道
塔中ならぶ参道
境内風景
境内風景
仁王像
仁王像
境内風景
境内風景
法喜門
法喜門
二天門
二天門
本堂
本堂
本堂と開山堂
本堂と開山堂
本堂
本堂
鐘楼堂
鐘楼堂
日尊上人腰掛石
日尊上人腰掛石
荼毘所
荼毘所
開山廟所
開山廟所
客殿
客殿
大庫裏
大庫裏
林
垂迹堂そばの林
重須大神
重須大神

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天明6年(1786)の『法華宗勝劣派北山本門寺派寺院本末帳』を引くと、塔頭28か寺、末寺43か寺。安政3年(1856)10月の『諸末寺書上扣』では本末合わせて99か寺で、うち直末41か寺、孫末4か寺、塔頭48か院(26か院は畳置)、持庵5か院の規模だった。

現在の直末は39か寺(県内23か寺、県外16か寺)。内訳は、塔中6か寺、近北門中7か寺、近南門中5か寺、駿田門中5か寺、相模門中4か寺、東京門中3か寺、甲斐門中4か寺、佐渡門中3か寺、紀備門中2か寺。

参考文献 公式リーフレット、境内掲示板、本門寺並直末寺院縁起、駿河記、修訂駿河国新風土記、駿河志料、皇國地誌編輯、富士郡北山村誌、北山村地史、富士宮市史、芝川町誌、富士宮市の伝統建築、富士宮市の棟札集成、富士宮市の文化財、日蓮宗寺院大鑑、日本社寺大觀寺院篇、静岡縣富士郡誌、日本名刹大事典、古寺名刹大辞典、静岡大百科事典、駿河、白糸をめぐる郷土研究、月の輪、私の古里山宮とその周辺、富士重須本門寺、郷土資料辞典、富士宮市歩く博物館ガイドブック、日本歴史地名体系、角川日本地名大辞典
(フォト最終撮影日:平成24年9月29日)
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