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一宮浅間神社

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名称
浅間神社あさまじんじゃ [通称:一宮浅間神社いちのみやあさまじんじゃ
所在
山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684
主神
木花開耶姫命
創建
伝:垂仁天皇8年(前22)正月
例祭
山宮神幸祭:3月15日前の日曜日 例大祭・大神幸祭:4月15日 梅折枝神事:陰暦4月第2亥日ほか
敷地
3,395坪
神紋
十六弁の菊花 八重桜
社格
式内社(明神大) 甲斐国一宮 旧国幣中社 別表神社
備考
紙金泥般若心経 山宮神社本殿(国重文)、太刀銘国次(武田信玄奉納) 太刀銘一徳斉助則(県文)、夫婦梅(県天然)、拝殿附旧材1枚 武田信玄公自詠の短歌(市文)、山宮神社夫婦杉(市天然)
神徳
火山鎮護、酒造守護、婚姻・子授安産ほか
交通
中央高速一宮御坂ICより2.5km 駐車場有

平安期造営の甲斐国一宮
4月に水防祈願の「おみゆきさん」

随神
古色を帯びた随神門

日本のシンボル、霊峰富士。古来、美しい山容と噴火の脅威から神格化され、山霊を祀る浅間神社がお膝元の山梨・静岡を中心に分布している。うち山梨第一の社が笛吹市の浅間神社。甲斐国一宮にして、近代社格では県下唯一の官社となった名社である。

社伝によると、創祀は垂仁天皇8年(前22)。東南約2kmの神山ふもと、摂社山宮神社の地に木花開耶姫命・大山祇命・瓊々杵命が祀られた。下って貞観7年(865)12月9日、前年噴火した富士山を鎮めるため、勅により木花開耶姫命を現在地に遷祀したという。その後、延喜の制で明神大社に列し、平安後期には甲斐国一宮となった。

中世以降は武門からあつく敬われ、特に武田信玄は神領や太刀、短歌をたびたび寄進した。国重文の山宮神社社殿や紺紙金泥般若心経1巻(後奈良天皇宸翰)も信玄の奉納。のち徳川家康や徳川家光も神領を寄進・安堵している。

拝殿
寛文12年造営の拝殿(市文)

国道沿いの大鳥居をくぐって御手洗川を渡り、沿道のブドウ畑を眺めながらしばし歩くと神域に突き当たる。

境内はコンパクト。その格式からすれば殊の外せまい。けれど、隅々まで掃き清められ、木々はほどよい高さで空を隠すことなく明るい雰囲気。子授け安産の神徳にちなむ子持石や陰陽石、十二支石像など点在する石造物も楽しい。

石鳥居、随神門をぬけると、左手に社務所や社殿が東向きで、正面に神楽殿、神輿庫が南向きで並ぶ。拝殿は寛文12年(1672)造営の入母屋造り。控えめな装飾や古色を帯びた木肌、どっしりと重厚感ある構えは男性的な力強さと風格が漂う。本殿も江戸期の造営で、1花で2果を結ぶ御神木の夫婦梅が寄り添っている。

「おみゆきさん」と親しまれる大神幸祭は4月15日。

片道約24km、信玄堤鎮座の三社神社へ神幸する。二宮の美和神社、三宮の玉諸神社と合同で水防祈願の川除祭を行うことから「三社御幸」とも称され、甲斐国第一の大祭といわれた。明治以降、一宮の単独神幸となったが、平成15年、3社での神幸が復活した。社記によれば天長2年(825)から続いているという伝統神事。

また、3月に山宮神社へ神幸する「山宮神幸祭」、旧暦4月第2亥日に夫婦梅の実のついた枝を神前に供える「梅折枝神事」も著名な神事である。

大鳥居
国道沿いに大鳥居。扁額「第一宮」
参道
沿道のブドウ畑を眺めつつ歩くと神域
鳥居
二の鳥居と社号標
随神
寛政元年(1789)再建の随神門
境内
清々しい境内
社殿
石畳を歩くと社殿
亀ノ松
参道風景。中央の松は亀ノ松
手水
手水舎
拝殿
注連柱と拝殿
拝殿
どっしりと風格あるたたずまい
本殿
本殿と夫婦梅
神楽
神輿庫と神楽殿
子持石
子持石
陰陽石
陰陽石。子授けに霊験
陰陽石
陰陽石。子授けに霊験
祓門
厄、災難を祓う祓門
十二支
十二支石像
境内
境内風景
両部
裏参道の両部鳥居

摂社山宮神社

神山
浅間神社の旧跡、神山

本社の東南約2km、神山ふもと(字山宮1705)に山宮神社が鎮座。

県道34号から南の枝道へ入り、ブドウ・モモ畑のなかを突き進むと、山の入口に鳥居がたつ。害獣よけの柵を越え、枯葉が積もった薄暗い山道を歩くこと約5分、苔生した神域にたどりつく。

社伝によれば、垂仁天皇8年(前22)に木花開耶姫命・大山祇命・瓊々杵命が祀られた。下って貞観7年(865)12月9日、富士山噴火を鎮めるため、木花開耶姫命を本社の地へ遷祀。ということで、祭神は大山祇命・瓊々杵命の2柱。

現在の本殿は永禄元年(1558)10月8日、武田信玄が再建した檜皮葺きの一間社隅木春日造り。室町期の特色を示すとされ、国重文指定(附棟札)。後ろには御神木の夫婦杉。2幹合着で根元の周囲2.05m。地上1mで別れ、東幹の目通り幹囲5m、西幹の目通り幹囲5.30m、樹高37mの堂々たる巨樹である。

鳥居
山宮神社鳥居
参道
山宮神社参道
拝殿
赤みを帯びた拝殿。木造寄棟造り
本殿
本殿は武田信玄再建の春日造り(重文)
本殿
素朴な桧皮葺が美しい
夫婦
御神木の夫婦杉(市天然)

末社

真貞
初代祝の伴直真貞を祀る真貞社

境内末社は4社。社殿瑞垣の左手に真貞社(祭神:初代祝の伴直真貞)と神明社(祭神:天照皇大神)、右手に護国社と合殿七社(祭神:雨降大神・道祖神・稲荷大神・金刀毘羅大神・六所大神・迦具土大神・天満宮)が鎮座。

境外末社は1社。大鳥居の北側、御手洗川のほとりに天神社(祭神:菅原道真)が鎮座している。

神明
神明社
護国
護国社
七社
七社合殿
天神
御手洗川のほとりに天神社

由来端緒

甲斐国の浅間神社

甲斐国における浅間神社の成立は、貞観6年(864)の富士山大噴火が契機。延喜元年(901)完成の『日本三代実録』に詳しい記録が載っている。

まず貞観6年5月25日、駿河国から「富士郡正三位浅間大神の大山(富士山)が噴火した。その勢いはなはだ盛ん」と一報があり、7月17日には甲斐国から被災状況が報告された。いわく「駿河国大山が大噴火。大地震と激しい雷雨がおき、たちこめる雲霧で真っ暗になり、山野の境も分からなかった。その後、土石流が本栖湖とせの海(青木ヶ原にあった大湖)を埋め、魚類は死滅、百姓は家を失うか、家が残っても無人となった。河口湖方面にも溶岩流が向かった」。

富士山は当時、「富士郡正三位浅間大神大山」「駿河国大山」などと表記されているように駿河国に属すると認識され、同山を鎮める官社として同国に富士郡正三位浅間大神(富士山本宮浅間大社)が祀られていた。そのため朝廷は噴火原因を「富士山本宮浅間大社の祢宜や祝(神職の名)の怠慢にある」と占い、8月5日、駿河国へ鎮謝実施を指示するとともに、甲斐国にも奉幣解謝を命じた。

翌7年、甲斐国は「伴直真貞を祝、伴秋吉を禰宜とし、八代郡家以南に祠を造営して鎮謝させた。それでも噴火がおさまらないため、使者を遣わし検察したところ、埋まったせの海に彩色美麗な祠が造営されていた」と報告、祠の斎祭許可と官社列格を要請。12月9日、勅により八代郡浅間明神祠の官社列格と祝・禰宜を置くことが決まり、同20日には山梨郡にも浅間明神を祀るよう命が下された。

のち、延喜の制で「八代郡 浅間神社」が国内唯一の明神大社に列している。


笛吹市一宮町鎮座の浅間神社は、貞観7年(865)12月に創建された浅間神社のどちらかだと考えられているが、富士河口湖町の河口浅間神社、市川三郷町の一宮浅間神社なども「八代郡浅間明神」に該当すると主張。当時の郡境を含めて不明確な部分が多く、確たる決め手はない状況である。

社伝によれば、創祀は垂仁天皇8年(前22)正月。東南約2kmの神山ふもと、摂社山宮神社の鎮座地に木花開耶姫命・大山祇命・瓊々杵命の3柱が祀られた。貞観7年12月9日、前年噴火した富士山を鎮めるため木花開耶姫命を現在地へ遷祀。「八代郡浅間明神」となったと伝えている。

国衙に近いこともあり、平安期には甲斐国一宮となったらしく、『吾妻鏡』寛元4年(1246)3月30日条に「甲斐国一宮」と見える。権勢者の崇敬あつく、建久5年(1194)に鎌倉幕府が社殿修造、戦国期は武田氏から神領・太刀を寄進された。

なかでも武田信玄は手厚く保護した。天文20年(1551)2月、信濃国府中の小笠原長時攻略の奉賛として一宮郷内20貫文を諸役免許のうえ寄進。弘治2年(1556)1月、天文16年に祈念した宿願の成就を受け、信濃国筑摩郡小松郷内10貫文を寄進。永禄元年(1558)山宮神社を再建。元亀3年(1572)3月、駿河国を得た奉賛として同国富士郡押出村内15貫文を寄進。天文19年4月には、後奈良天皇が信玄を通じて御宸翰の紺紙金泥般若心経1巻(晴信直筆包装)を納めている。

武田氏滅亡後の天正10年(1582)10月、新たに甲斐国を領した徳川家康は、神領200貫文・宮中森林伐事・神主木戸之内諸役免許などを安堵し、武田氏同様に庇護。同17年には検地の末、神領650俵1斗2升が山手銭とともに安堵された。

慶長8年(1603)3月、徳川四奉行(櫻井信忠・石原昌明・小田切茂富・跡部昌忠)黒印で神領234石2斗、神主屋敷分2,079坪が安堵され、同11年10月19日に5か条の禁制により竹木・花の伐採、牛馬の往還、殺生、狼藉などを禁じて保護。同12年には大規模な社殿造営が行なわれた。3代将軍家光も朱印領234石2斗、社中竹木諸役免許を寄せ、江戸期通じて安堵された。

社号は「浅間神社」のほか「甲州第一宮」「第一宮」などと称した。「第一宮」とは甲斐国一宮のことを指し、現在も大鳥居や拝殿の扁額は「第一宮」。神号は浅間明神・浅間大明神・甲州一宮大明神などと呼ばれたという。また神仏習合期は境内に鐘楼堂があったほか、別当として神宮寺(本尊:観音)があり、慶安3年(1650)3月には神主らが鐘楼を奉納している。明治4年5月、国幣中社に列格。



参考文献 公式リーフレット、境内掲示板、国史大系 日本三代實禄、国史大系 交替式 弘仁式 延喜式、甲斐国志、修訂駿河国新風土記、淺間神社の歴史、山梨県史、全国神社大要覧、全国神社名鑑、日本社寺大觀神社篇、全国一宮祭礼記、日本の神々 神社と聖地10、神詣で、神社事典、山梨百科事典、角川日本地名大辞典、日本歴史地名体系

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