白鬚神社
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名称 所在 滋賀県高島市鵜川215
主神 猿田彦命(別名:比良明神、白鬚明神)
創建 伝:垂仁天皇25年 例祭 5月3日 9月5~9日
敷地 4,019坪 神紋 左三つ巴
社格 国史見在社 旧県社 備考 本殿(国重文)
神徳 延命長寿、縁結び、子授けほか
交通 JR湖西線近江高島駅より徒歩25分 駐車場有
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境内社
境内社は11社。 白鬚神社本殿の斜め後ろに若宮神社があり、背後の丘陵に「上の宮」と呼ばれる10社(高良神社、八幡神社、加茂神社、天照皇大神宮、豊受大神宮、天満神社、稲荷社、寿老神社、鳴子弁財天社、岩戸社)が鎮座。 若宮神社横の階段を上ると、高良神社・八幡神社・加茂神社、天照皇大神宮、豊受大神宮が並び、その後ろに天満神社、稲荷社、寿老神社、鳴子弁財天社が並ぶ。さらに斜面を上れば岩戸社が鎮座。岩戸社は、古墳を奉祀している。 |
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由来端緒全国に300余社分布する白鬚神社の根本社。近江最古の神社と伝えられる。祭神は猿田彦命で、古くは比良明神、白鬚明神とも呼ばれた。社名から、延命長寿の神として崇敬されている。国道161号を隔てた琵琶湖中に丹塗りの鳥居がたち、「近畿の厳島」とも称される。謡曲『白鬚』のモデルとなった神社でもある。 現祭神は猿田彦命だが、もとは背後の比良山系を祀っていたとも、朝鮮渡来人が祀った神だったともいわれる。境内裏手に白鬚神社古墳群があり、境内社の岩戸社は、石室を奉祀している。また一帯には、海人族である安曇族が居住していた。 伝説によれば、猿田彦命は天降った邇々杵尊を先導したのち、伊勢国より巡行して近江国に至り、琵琶湖の風光をめでて、この地に留まった。白鬚の名は、神が白鬚の老翁姿で示現したことに由来するという。また、この神は近江の地主神で、琵琶湖水が変じて7度まで葦原になるのを見たとされる。 神社創祀は判然としないが、社記は垂仁天皇25年(前5)に倭姫命が社殿を再建し、白鳳2年(674)天武天皇の勅旨により比良明神の号を賜わったと伝える。 『延喜式』神名帳に記述はないが、『日本三代実録』の貞観7年(865)正月18日条に「授近江國無位比良神従四位下」とある国史見在社。元慶2年(878)8月、清和天皇の勅により封戸を加付され、後冷泉天皇の永承4年(1049)に舎利1粒を納められたと伝えられる。 中世は武将の崇敬あつく、近江守護の六角義賢は天文9年(1540)、津田権内高光を奉行に社殿造営。また豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼が片桐且元を奉行に境内整備を行い、慶長8年(1603)に本殿、若宮社、伊勢両宮、八幡三社を造営。絵馬殿(旧拝殿)は寛永元年(1624)、大溝藩初代藩主分部光信が建立した。神領は、慶安元年(1648)幕府から朱印地100石を受け、のち189石余となった。旧県社。 例祭は5月3日と9月5・6日。秋の例祭は白鬚祭とよばれ、「なる子まいり」が行われる。数え年2歳の子どもがお参りし、本名とは別の名を神から授かり、その名を3日間よべば、無事健康に育ち一生幸福の守護を受けるという。 |
参考文献 由緒書、境内掲示板、国史大系 日本三代實禄、明治神社誌料、日本社寺大觀神社篇、全国神社名鑑、神道事典、神社辞典、社寺縁起伝説辞典、神詣で、日本神名辞典、日本神祇由来事典、日本歴史地名体系、角川日本地名大辞典、滋賀県百科事典 |
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