苔むす越前馬場
10月23日(土)。晴れ。
霊峰白山の越前側登山口に鎮座している平泉寺白山神社(福井県)を参拝した。滞在8時間、それでも飽きぬほど、魅力のつまった神社だった。
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- 平泉寺白山神社
平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺。主祭神:伊奘冊尊、旧社格:県社。白山の越前側登山口に鎮座。もとは修験の道場で、中世は叡山庇護のもと48社36堂6千坊、僧兵8千人の一大勢力を築いたが、天正2年(1574)一向一揆の焼き討ちで灰燼に帰す。10年後再興し、江戸期は藩主のあつい崇敬を受け、寛政8年(1688)には白山頂上本社の祭祀権を得た。明治初期、神仏分離令により神道に復する。
噂にたがわぬ美しさ。
静謐な杉林に、ふかふかの苔が絨毯を敷いたように広がり、そこに素朴な社殿が点在している。深い色の杉葉と、淡い色の苔の対比がまこと美しく、さらに木漏れ日が苔の色合いをいかようにも変化させる。凛とした雰囲気でありながら、どこかやさしい。そんな風景が、境内一面に広がっている。
写真を撮るのを忘れて風景をながめ、やがてむさぼるように写真を撮ってしまった。
なんていうのかな、観光雑誌や観光パンフレットの掲載写真そのままの風景。ああいう写真は、たいがい実物よりもきれいに写っている。あるいは、そのカット以外たいしたことのない景色だったり――。ところが平泉寺白山神社の場合、むしろ実物の方が感動的なほど美しく、しかもどこを眺めてもそん色ない。
さらに驚くことに、これほどの景観を誇りながら境内無料/名勝庭園50円。それなのに観光客の姿はまばらで、門前には軽食店とお土産屋が1店ずつあるのみ。商売っ気がまるでない。おかげで、いまも往時の修験を連想させるような、侵しがたい雰囲気をとどめている。
ここを訪ねてしまうと、俗な雰囲気にとっぷりと浸かっている観光社寺を参拝する気など、まるで失せてしまう。
参道 |
御神木 |
境内風景 |
苔 |
境内を一巡し、社殿前に戻ると、もくもくと掃除している人に出会った。
年のころは50前だろうか。もう少し若くも見える。やや小柄で、目が糸のように細く、笑うと地蔵のように柔和だった。聞けば地元の人(生れは静岡!)で、ここ3年ほど神社の掃除をしているという。むろん、ボランティアである。年に数度、大がかりな掃除があるものの、それだけではこの環境は維持できないらしい。この日は朝5時過ぎから掃除しているという。(会ったのは9時半ごろ)
「掃除をしないとどうなります?」
と尋ねると、
「とてもこんな風景は見られません。台風がきた後などは特にたいへん。杉葉がいっぱい落ち、苔が埋もれてしまいますよ」
「〝自然のままの方がいい〟という人もいますが、本当に自然のままだと…。せっかく来てくれる人がいるのだし、やはり良い状態を見てもらいたいから」
と、ほがらかに笑った。
ありがたい。こういう方の尽力により、私たちは美しい景色を見ることができるのだな、と改めて感謝。
最後に、
「よそから来た人や、出戻りの人の方が白山神社の良さがわかるみたい」
と付け加えられた一言が印象的だった。なるほど、そんなものかもしれない。富士山の周りもそうだし。よそから遊びにきた友人など、富士山や浅間大社、山宮をみて、それはもう大げさと思えるほど感動していた。そばにいるとどうしても慣れてしまうんだよね。
その後、発掘中の広大な坊院跡を散策し、つづいて社務所&庭園へ。宮司さんから御朱印をいただき、しばしお話をうかがう。やや細身で、いかにも人の良さそうなやさしい表情の人だった。
「修験はもうやられていないのですか?」
と尋ねたところ、
「修験はやっていません。いまは完全な神道です。白山のまわりで修験を行っているところはもう、ないと思います。ただ案内はいたします。今日もこれから富山の方が1人いらっしゃいます」
とのこと。そのほか、神社の栄枯盛衰、納経所、坊院跡、石垣、雪のことなどなど、こちらの質問にいやな顔せず応対していただいた。
この休み(土日)は、平泉寺白山神社を皮切りに、白山比神社、長滝白山神社と、白山麓に鎮座している主要白山神社を訪ねるつもりだった。それでも時間は余るだろうから、永平寺や高瀬神社も訪ねようか――と。
ところが平泉寺白山神社でつまずいた。2時間ほどの参拝で済ますつもりが、朝8時から午後4時まで、じつに8時間も滞在(それでも飽きず。社寺好きにとって、まるでテーマパークのようなところ)。写真も撮った。それはもう、たくさん。デジイチが電池切れになるほどに……。おかげで残りの予定はとりやめ。門前の勝山城博物館にちょっと立ち寄り、そのまま静岡に帰ることにした。とても満たされた1日だった。
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