大和区の守護神社 昭和19年現在に定まる
富士宮駅にほど近い大和区で祀られているお稲荷さん。区名をとり、大和神社と称している。祭神は、豊受姫稲荷大明神を主神に、子安稲荷大明神を合祀。区の守護社として親しまれ、毎朝、熱心に参拝する人もあるという。
創建年月は不詳。江戸後期には祀られていたようだが、江戸~明治期の地誌や、『富士郡神社銘鑑』『大宮町誌』など主なる資料には載っていない。路傍の一祠、あるいは個人の屋敷神扱いだったのかもしれない。
明治初期は、金光教富士宮教会東側の道沿いに祀られていた。しかし狭隘な境内だったため、2度の遷座を経て、終戦間近の昭和19年ごろ現在に定まった。同32年8月、大和区常会で区の守護神社と決まり、区はそれまで氏子として祭当番をつとめていた若之宮浅間神社および悪王子神社から離脱、大和神社に一本化した。翌年には、錦町で祀られていた子安稲荷大明神を合祀している。
祭礼は年2度。2月の初午祭(初午前後の日曜日)と7月の夏祭り(第2日曜日)を、区をあげて盛大に行なっているという。
古くは、初午祭を伝馬町、夏祭りを大和組青年が担当したが、戦後、両祭とも各町内会が持ち回りで当番にあたることとなった。むかしの夏祭りは旧暦7月6日に行なわれ、戦時中8月7日に改め、昭和33年より7月15日前後に定めた。
いまは、夏祭りの前日に子ども神輿が各町内を巡行し、前夜祭として特設舞台で舞踊やカラオケ大会が催される。かき氷や焼きそばなどの模擬店も出るという。
神域は大和会館の裏手。南方を会館、ほか三方を民家に囲まれ、まるで衆目から隠す風にひっそりと鎮座している。路地に面する鳥居がなければ、社があるとは気がつかないだろう。
鳥居をくぐり、大和会館と民家のあいだを壁伝いに奥へゆくと、会館の後ろに二の鳥居が現れ、続いて簡素なたたずまいの社殿が見えてくる。狭い上に見通しがきかず、なんとなく子どもの隠れ家でも訪ねたかのよう。
鳥居も、本殿も、賽銭箱も、トマトジュースに浸した風に赤い。神使の表情はひどく恐ろしげで、薄暗い境内と相まってえも言われぬ雰囲気をかもす。その一方で本殿前に招き猫や泥人形、ブタの貯金箱などが鎮座。雑駁としている。
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