下高原の産土神
緑色のうねと製茶工場が集積するお茶の里、高原に鎮座。創祀年月は不詳だが、昔から下高原の産土神として祀られてきた社で、昭和初期の『富士郡神社銘鑑』には「本殿1尺4寸×1尺1寸、雨覆1間四方、拝殿1間半四方、境内50坪、崇敬者7名」と載る。
祭神は高皇産霊神など2神
第六天神社は、中部~関東地方に多く祀られている。富士地域にも多い。これらは江戸期まで第六天――織田信長が自称したという天魔――を祀っていた。
第六天魔王は、欲界六天の最上位・第六天に住まう。他人の楽事を、自在におのれのモノにできるといい、「他化自在天」ともいう。寿命は1万6,000歳、身の丈は6km。男女問わず交淫・受胎させることができるという。……げにうらやましい。
信仰の本源や広まった経緯は詳らかでないものの、仏教系の祭神であることから、布教には修験者が関わったと考えられている。
明治期の神仏分離のさい、第六天神社の多くは、祭神を神道系の面足尊・惶根尊(神世7代の第6代にあたる夫婦神)へ書き換えられた。
ところが富士地区では、高皇産霊神・伊邪那岐神の2神となった。下高原の第六天神社をはじめ、法人登記している2社(源道寺、比奈)、未登記および他社に合祀された社(沼田新田、黒田→田中神社、星山→倭文神社、川成島→浅間神社、比奈→御崎神社、間門→浅間神社)など、いずれも。
高皇産霊神・伊邪那岐神が選ばれた理由は分からない。
(岩本実相寺に魔王堂があり、ここはいまも第六天魔王を祀っている)
鳥居・狛犬は昭和43年奉献
神域は街道ぞいにあり、往来する車の音がけっこう騒々しい。けれども、右手から裏手にかけて茶畑が広がり、風景はまことにほのぼのとしている。
境内はごく小さく、そこに一間社流造りのシンプルな社殿と公会堂を併設。日ごろから手入れされているらしく、植栽や立木、社殿前の玉砂利はきれいに整えられ、じつにこざっぱりとしていた。
余談となるが、ここは公会堂の雰囲気がいい。というのも、公会堂を併設、あるいは拝殿と兼ねた場合、その機能上、あじけない建物になりがち。そして、それらは大抵神域にそぐわないばかりか、景観をいちじるしく損なうことも少なくない。けれど、ここは和風のレイアウトで違和感なし。心づかいがうれしく、すがすがしい気分に。
寿命は1万6,000歳、身の丈は6km。男女問わず交淫・受胎させることができるという、実にうらやましい恐ろしい天魔です。富士地区の同系統神社をみると、宗教法人格を有する社は3社ですが、未登記や他社に......
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