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富士山本宮浅間大社 江戸期の境内風景

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浅間大社にはかつて多くの建物があった。神殿はもちろん、三重塔や護摩堂など仏教施設も並び、いまとは趣を異にしていた。その多くは地震や廃仏毀釈で失われ、いまだ再建されていない。

この頁では、江戸期の絵図などを基に往時のようすを探った。

  1. 戦国期以降の社殿あらまし
  2. 寛文10年(1670)当時
  3. 寛政2年(1790)当時
戦国期以降の社殿あらまし

浅間大社社殿は、武田勝頼が天正4~6年(1576~8)にかけて大々的に再建した(同年12月に正遷宮)。ところが、この社殿はわずか4年後、武田氏滅亡の混乱のさなか灰燼に帰す。後北条氏、あるいは織田氏の兵火だったと伝えられている。

これを再建したのが、やがて天下人となった徳川家康。慶長9年(1604)に関ヶ原の戦勝祝賽として再建へ着手し、同11年6月に竣工、22日に正遷宮を迎えた。正遷宮への参列者は、駿河国の宮僧社人・従者だけで182人を数えた。

家康再建の社殿は約40棟あったが、江戸期の大地震や明治期の廃仏毀釈により、次々と姿を消した。現存しているのは楼門拝殿拝殿、透塀2棟、本殿のみ。うち本殿は国重要文化財に、残りは県文化財に一括指定されている。

境内掲示板より
現在の浅間大社境内(境内掲示板より)
寛文10年(1670)当時

同社に、『浅間大社古絵図』が残されている。これは、寛文10年(1670)2月27日に寺社奉行へ提出した絵図の控えで、当時の境内模様が詳細に描かれている。年代をかんがみれば、家康再建当時とほぼ同様のすがただろう。

下のイラストは、『浅間大社古絵図』を基に作成した。紺色の建物は、江戸期の大地震や明治期の廃仏毀釈で失われ、再建されなかった建物。拝殿・本殿や楼門、数社の境内社をのぞき、大部分の建物は失われたままとなっている。

江戸期の境内図
失われた建物一覧
名称 名称 名称
木戸 12 日之宮社 23 摩利支天社
薬師堂 13 見目社 24 護摩堂
阿弥陀堂 14 御炊殿 25 鐘楼堂
下馬札 15 三味堂 26 帝釈堂
禁札 16 飯酒王子社 27 八幡社
舞壷(神楽殿) 17 伊勢社 28 追加明神
神馬屋 18 辨天社 29 三重塔
若御前社 19 普賢延命堂 30 大日堂
経蔵 20 垢離屋 31 水神社
10 宝蔵 21 牛頭天王社 32 神幸橋(屋根付)
11 御饌殿 22 荒神社 33 五大堂
神仏習合

薬師堂、阿弥陀堂、経蔵、普賢延命堂、摩利支天社、護摩堂、鐘楼堂、帝釈堂、三重塔、大日堂、五大堂などは仏教系の施設である。浅間大社が神仏習合の社だったことがよく分かる。これらの多くは、江戸期の大地震などで失われたか、大きな被害を受け、やがて明治を迎えると廃仏毀釈で一掃されてしまった。

寛政2年(1790)当時
本宮及末社間數坪數書上寫

寛政2年(1790)11月に寺社奉行へ提出された『本宮及末社間數坪數書上寫』には、当時の境内規模が次のように列記されている。(灰色背景は現在失われている建物、備考欄は管理人が追加。同書に載る末社の規模はこちらを参照

名前 規模 備考
社地 1万5,560坪
大宮司屋敷 4,528坪 市民文化会館辺り
別當・寺中屋敷 6,688坪 湧玉池北東辺り
公文屋敷 6,205坪 小学校北側辺り
案主屋敷 1,912坪 表参道西側
下社家惣屋敷 1万860坪 宮町一帯
本社 5間4面 唐破風作(2階=2間×3間 寶殿作)
拝殿 5間4面 向拝2間×3間
作合(弊殿) 4間×3間
玉垣 30間(ただし東西北10間)
神供所 4間半×2間
三之宮 1間×2間
七之宮 1間×2間
寶蔵 2間×3間
経蔵 2間4面
日之宮 1間社 内陣へ合祀
見目之堂 2間×3間 内陣へ合祀
舞屋 3間半×3間
神馬厩 2間×1間半
楼門 4間×2間半(ただし3手先作)
廻廊 南方25間、東方12間半、西方62間半、北方30間
裏門 1間半×1間
御炊屋 3間×2間
八幡社 3間×4間 内陣へ合祀
飯酒王子 3間社 内陣へ合祀
天照太神 3間社 内陣へ合祀
弁財天堂 3間4面 内陣へ合祀
普賢延命堂 3間4面
天神 3間社
三寶荒神 3間社 内陣へ合祀
牛頭天王 3間社 内陣へ合祀
摩利支天堂 3間4面
護摩堂 3間4面
水屋明神 3間社
垢離屋 7間×2間
鐘楼堂 2間4面
帝釈天堂 3間4面
八幡宮 3間社 内陣へ合祀
追加水神 3間社 内陣へ合祀
三重塔 1丈5尺4方
水神 3間社 内陣へ合祀
本地大日堂 3間4面
弁財天堂
(現厳島神社)
3間4面
神橋 3間×2間 橋上建屋は滅ぶ
五大尊堂 3間4面
阿弥陀堂 2間4面
輪橋 長さ3間、横2間
鳥居 2丈8尺
鳥居 1丈8尺
寶幢院及末末寺間數坪數書上寫

寛政2年(1790)11月に寺社奉行へ提出された『寶幢院及末末寺間數坪數書上寫』に見える別当寶幢院および供僧屋敷の規模は次の通り。(社僧の概要はこちらを参照

寶幢院
名前 規模
境内 東西76間南北88間 6,688坪
表門 2間×1間
客殿 8間×6間
玄関 2間×2間
庫裏 7間×5間
居間 4間×2間
寺中5ケ寺
清泰院屋敷 448坪
閼伽井坊屋敷 504坪
乗蓮坊屋敷 748坪
蓮蔵坊屋敷 336坪
法泉坊屋敷 309坪
参考文献 富士山本宮浅間大社頁と同じ
(フォト最終撮影日:各神社頁と同じ)
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