萬部山一乗寺は、鎌倉中期に下野阿闍梨日秀が開いた日蓮宗の古刹。本尊は一塔両尊四士。往古は「市庭寺」、中古は「實成寺」と称したが、江戸中期にいまの山寺号へ改めた。
縁起によれば、日蓮・日興の弟子下野阿闍梨日秀が正安元年(1299)に開創した。はじめは「市庭寺」といい、文禄年間(1592~96)に「久澤山實成寺」へ改めた。
以降寺運は隆盛し、延宝5年(1677)9世日理の代には郡下の信徒を集めて大法要を開き、一乗妙法蓮華経を1万部読誦。これを記念し、「萬部山一乗寺」へ改称した。
江戸期は本堂・庫裡・鐘楼堂・子安堂(七面堂)のほか、塔中に哲舟院、玄長坊、東之坊の3か坊があったという。
しかし哲舟院と玄長坊は、江戸中期の火災で灰燼と帰して再建ならず、江戸末期の地誌『駿河志料』を引くと、「塔中 東之坊」のみとなっている。その東之坊も、明治初年に廃された。
昭和46年、日蓮生誕750年慶讃記念事業で本堂を新装し、併せて同49年に山門を建立、寺観を一新した。さらに平成9年、開創700年慶讃記念事業で山門を改修し、東門新築。日蓮銅像も建立した。
JR入山瀬駅から歩くこと7、8分、大月線(国道139号)沿いの一角に一乗寺はある。人家にまぎれた境域はさほど広くないが、四方に門をひらき、なかなか格調高いたたずまい。
山門をぬけると、掃き清められた境内が青空の下に広がっている。正面に本堂と山務所がならび、左手には姿のいい七面堂(子安堂)がある。七面堂は宝永7年(1710)建立と古く、七面大明神・子安妙魄霊神を祀る。江戸期の火災では類焼を免れ、現存最古の建物。
山門
七面堂(子安堂)
本堂は鉄筋コンクリート製の入母屋造り。瓦葺き屋根が楚々としていて美しい。昭和46年の新装らしいが、ずっと新しく感じるから、近年塗り替えられたのかもしれない。本堂の前には、平成9年に建立された日蓮像が悠然とたたずんでいる。
本堂と日蓮像