〔社寺探訪〕矢川撮影
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平成24年9月8日(土)
朝一、富士市東部で歴史さんぽ。矢川の撮影を目的とし、あとは思いつくままぶらぶらと。
- 探訪リスト
- おしゃもっさん(江尾)→矢川(船津)→浅間神社(船津)→山神社(荒田島)
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今年の大河ドラマは「平清盛」。
清盛自身は、富士地域とさほど関わりのない人。なれど、「平氏」という大枠でとらえれば「富士川の戦い」がある。これは現富士市を舞台とした源平の戦で、わが国の情勢を大きく動かした一大決戦。
これをブログで活用しない手はない。遅ればせながら、ドラマ放映前に伝承地を紹介しておこうと思い立ち、現在、鋭意作業中。
この日は、伝承地のひとつである矢川の写真撮影を第一目的とし、あとは思いつくままぶらぶらと神社をめぐった。
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江尾のおしゃもっさん(おしゃごっさん)
まず、富士市江尾で寄り道。根方街道よりやや奥まった路地裏に鎮座している「おしゃもっさん」をお参りした。1坪ほどの土地にごく小さな祠が建てられ、その下から清水が湧き出している。
ここは間竿(検地に用いられた竿)を祀っているとのこと。・・・でも、この類(おしゃもっさん、おしゃごさん、社宮司神社)の祭神はとても複雑なのよね。界隈では間竿や測量に用いた丈量の縄、あるいは杓文字を祀ることが多いけれど、その実信州諏訪発祥の神といわれたり、石神とされたり。
お杓文字奉納例を挙げると、同市岩本で祀られているおしゃもっさんには「お杓文字」が納められている。歯が痛むとき、そのお杓文字で痛い場所をさすると傷みが治まる、と伝えられている。
また同市横割本町には社宮司神社が鎮座。こちらは江戸期の『駿河記』などに「石神社」「石神祠」と記述され、石神として信仰されていたようすがうかがえる。
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おしゃもっさんの次は、目的地の矢川。富士市と沼津市の境そばを流れている小川だ。ここには「富士川の戦いの際、源頼朝が矢を洗った」という、まことにたいそうな伝説がある。
風景的にこれといって特筆すべきところはないが、水は浅く、よく透き通っており、でっかい鯉が這うように泳いでいた。水の清らかさをかんがみれば、よほど水源に近いのかもしれない。
下の写真は矢川で祀られている水神さん。
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矢川を辞し、次に向ったのは船津浅間神社(船津字浅間原619)。船津の産土神である。祭神は木花開耶姫命。
ぐるりと境内を見渡すと、本殿が改築されていた(写真中)。いつの間に・・・。去年参拝したときは古い社殿だったのだけど(写真上)。そばに寄ると、新しい木材独特の香りがつよく漂ってきた。
御神木のクス船津浅間神社のシンボルは、なんといっても御神木のクスノキ。富士市の指定天然記念物。
掲示板によれば樹高30m、目通り4.05m、枝張は東西20m、南北10m。太い主幹をまっすぐ伸ばし、たくさんの葉を茂らせている。樹勢はすこぶる旺盛。
御神木を間近でゆっくりと眺めるべく近くへ寄った。すると、そんなわたしに蚊の大群がわらわらと――。多勢に無勢。あまりの攻勢に心折られ、写真を数枚撮っただけですごすごと退散。無念なり。この時期の神社はこれがきつい(´・д・`)
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船津浅間神社をお参りしたのが7時30分ごろ。暑くなってきたし、出社時間(休日出勤・・・)も迫ってきたため、ここで神社めぐりを切り上げ、会社のある吉原へ向うことに。
ただ、そのまま出社するには時間が早い。よって、会社付近で1社参拝することとし、荒田島の山神社を選択。
荒田島山神社は、昨年火事で社殿を失い、今春に本殿、今は拝殿を再建中。もう落慶まぢかといったところ。
旧社殿と火事の詳細はこちら。再建している社殿は、おおむね旧観に復する感じのようだ。
晴れて落慶なったら、弊ブログも個別エントリーで紹介しようと思っている。