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泉流山唯称寺

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名称唯称寺ゆいしょうじ [山号:泉流山せんりゅうさん
所在静岡県富士市吉原3-6-10
宗派真宗大谷派本尊阿弥陀如来
創建慶長12年(1607)開基善空和尚
開山善空和尚本寺東本願寺
寺紋下がり藤(瓦)、八葉牡丹(幕)
交通岳南鉄道吉原本町駅より徒歩5分 駐車場有
  1. 由緒
  2. 境内概要
  3. 写真
  4. 関連リンク・参考文献

「河童の茶壷」の伝説

下がり藤
八葉牡丹

吉原の北辺にある門徒寺。本尊は阿弥陀如来。真宗は全国で最多寺院数の宗旨だが、富士地域は日蓮法華が猛威をふるい、浄土の風はさほど根づかなかった。しかし唯称寺をふくむ5か寺が、いまも往生浄土の教えを説いている。

元吉原で開創

唯称寺の草創は、江戸初期の慶長12年(1607)。善空という若い僧が、当時鈴川~今井にあった東海道吉原宿(元吉原)に開いたという。在地は宿の東方、毘沙門天の道向かい辺りだったと考えられている。

開基・開山である禅空の経歴と開創の経緯を、縁起はおおむね次のように語る。

善空は天正17年(1589)、9歳のとき越前・西福寺(敦賀市/浄土宗)に入り、慶長5年(1600)20歳のとき関東にでて下総・弘経寺(常総市/同宗)で学んだ。同11年(1606)、帰省途中に立ち寄った駿河・真楽寺(沼津市/真宗大谷派)で僧了願の知遇に感じて法弟となり、寺内に庵を建てた。

このころ、吉原宿には門徒寺がなかった。そこで善空は翌12年、宿に土地を求めて草庵をむすび、真楽寺に逗留中の旅僧頼円(神谷法真寺の開山)に移ってもらった。しかし翌年、頼円が去ったため、いよいよ善空自身が入ることになった。このとき28歳。敷地を拡張して堂宇を造営し、正式に「唯称寺」を号した。

吉原宿の所替え

その後、吉原宿は寛永16年(1639)の高波・漂砂で被災し、内陸の依田橋付近へ所替えした(中吉原)。唯称寺もこれに従った。

『田子のふるみち』に、中吉原当時の町割りが詳しく述べられている。いわく「本町と横町の北角半丁余、北にあたって妙祥寺の門にあたる。この間裏町登りたな。また、この角より壱丁余東に曲げて、唯称寺の門にあたる。南隣は大運寺。門前は新橋詰へ向かう」。

この時代も宿の東方(和田川の西岸)にあり、大運寺と向かい合うように建っていたようだ。

その中吉原も延宝8年(1680)の大高波で潰滅。より内陸の吉原本町(新吉原)へ所替えし、唯称寺も現在地に移転再建した。

諸文献を引くと、江戸後期の『駿河記』は「唯正寺」の名で載せる。誤植だろうか。一方『駿河志料』は「唯稱寺」と載せ、「浄土真宗 京本願寺末、除地3反7畝歩 開山善空慶長年中寂」と所載。

下って明治中期の『皇國地誌』は「東西39間 南北29間 面積3反4畝5歩」、『富士郡吉原町・島田村組合沿革誌』には「境内1反5畝6歩 墓地1反2畝13歩」と記されている。

本堂屋根に河童

寺域は岳南鉄道吉原本町駅から歩くこと5、6分。吉原本町通り(旧東海道)の裏通りに、花屋や金魚屋などと並んで建っている。姿のいい山門が街道の方へ向いて建つが、その扉はめったに開かれず、平素は東側の通用門から出入り。いささかもったいない。

山門
山門

山門をくぐると植栽と石組の前庭があり、その先に和風の本堂が建つ。以前は鉄筋コンクリート製の厳つい建物だったが、10年ほど前に入母屋造へ改築された。この方がはるかにいい。本堂の左手は墓地で、その向こうに擬洋風建築の順天堂田中歯科医院がみえる。

本堂
本堂

本堂の屋根をみると、1対の河童が座っている。鷹のような鋭い目とくちばしの厳つい風貌で、筋肉の盛り上がった体躯には鱗がこまごまとつき、背には甲羅。阿吽をなし、金剛力士よろしく寺を護っている。この河童には、次のような伝説がある。

中吉原宿時代のこと。

住職の夢に白髭の翁が現れ、「和田川に住む河童です。先の大水で農具が流れてきて、巣の入口に引っかかってしまい難儀しています。どうかこれを取り除いてください」と頼んできた。

明日、住職がその場に行ってみると夢のとおりのあり様だったことから、これを取り除いてあげた。

するとその晩、河童が再び夢に現れた。謝辞を述べつつ川の底で拾った茶壷と魚2匹を差し出し、「この寺が火難水難にあわぬよう、末代まで守ります」と告げた。

明朝、住職が玄関に出てみると、くだんの茶壷と魚が置いてあったという。

以来、唯称寺は火事に遭ったことがなく、明治29年の吉原大火でも類焼を免れている。

河童
河童
境内風景
山門
山門
通用門
通用門
境内風景
境内風景
境内風景
境内風景
境内風景
境内風景
境内風景
境内風景
本堂
本堂
河童
河童

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参考文献 田子のふるみち、駿河記、修訂駿河国新風土記、駿河志料、皇國地誌、富士郡吉原町・島田村組合沿革誌、静岡県仏教会名鑑、富士市の寺院、富士市の仏教寺院、東海道吉原宿、鈴川の歴史、沼津市史 通史編、ふるさとの昔話、史話と伝説、元吉原の案内板
(フォト最終撮影日:平成24年9月28日)
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