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矢彦神社

拝殿向拝
〈迫力ある拝殿向拝〉
名 称
矢彦神社
所 在
長野県上伊那郡辰野町大字小野八彦沢3267
主 神
主殿:大己貴命 事代主命、副殿:建御名方命 八坂刀賣命、南殿:天香語山命 熟穂屋姫命、北殿:神倭磐余彦天皇 誉田別天皇、明治宮:明治天皇
創 建
不詳
祭 礼
例大祭:10月第1日曜 御柱祭
敷 地
5,500坪
神 紋
左三つ巴
社 格
信濃国二宮 旧県社
境 内
伊勢宮 身形宮
備 考
神楽殿・勅使殿・拝殿・回廊(県宝) 社叢(県天然記念物)

上伊那郡54ヵ村の総鎮守

鳥居
正面の明神鳥居、扁額「矢彦社」

ふるくは憑の里(頼母の里)とよばれた小野盆地。かの『枕草子』に「たのめの里」とみえ、『夫木抄』では「信濃なる伊那の郡とおもふにもたれか憑の里といふらん」などと詠まれた歌枕である。矢彦神社はこの地方の総鎮守社であり、隣接する小野神社とともに、信濃国二宮として崇敬されてきた大社であった。

社記は、大己貴命が国造りのさなか、御子2神をともなって立ち寄った霊跡とつたえ、欽明天皇の代(539~571)、正殿および副殿に4柱を祀り、例祭日を八朔に定めたとしている。平安期の源頼義・義家から徳川幕府にいたるまで諸武将の崇敬をあつめ、小野神社とあわせて「小野南北大明神」と称されてきた。

拝殿
立川流初代富棟造営の拝殿。
迫力ある向拝が目を引く

朱の鳥居をくぐると、神楽殿が行く手を阻むようにたち、以下、勅使殿、拝殿、本殿群とつらなる。勅使殿と拝殿・回廊は天明2年(1782)に立川流初代富棟が、神楽殿は天保13年(1842)に2代目富昌が造営した同流代表作の1つ。スギやケヤキなどの老木がそそり立つ社叢(県天然)に、閑雅なたたずまいを見せる。

例大祭は「八朔祭」「田ノ実祭」「憑祭」などと呼ばれる、天候平穏や豊作を祈る祭り。欽明天皇の代に創始されて以来、毎年八朔に行われてきたが、いまは10月第1日曜日。また、諏訪大社の翌年に行われる御柱祭は、天武天皇2年(674)から連綿と受け継がれてきた、7年毎の式年祭だ。

大鳥居 神楽殿
小野駅北100mにたつ大鳥居 天保13年(1842)製神楽殿
手水舎 勅使殿 境内社
手水舎 江戸期造営勅使殿 境内社
狛犬 本殿群
狛犬 本殿群

由来端緒

神代、国づくりのさなか大己貴命が御子の事代主命と建御名方命をともなって立ち寄り、のちに日本武尊が東征から凱旋の折に駐留した霊跡と伝わる。社記によれば、成務天皇の代(131~192)に遣使奉幣があり、勅使の子孫は永く当社に奉仕したという。欽明天皇の代(539~571)にも勅使参向し、正殿に大己貴命と事代主命、副殿に建御名方命と八坂刀賣命を祀り、例祭日を毎年八朔(旧八月朔日)と定めて神事を創始。

天武天皇2年(674)、勅使参向。新宮を造営し、正遷宮祭と御柱祭が7年毎の式年祭と定められた。天喜4年(1056)、源頼義・義家が奉幣し、翌年に新宮造営して軍器を奉じる。康平3年(1060)、仁科国司・一條飛騨守が鳥居を再建、安曇郡の2村を神領として奉じたという。寿永元年(1182)には源義仲が戦勝祈願して社殿造営。このとき、木曽山林から宮材を伐り出したことから、以後700年にわたって確例となる。

中世も諸武将のあつい庇護を受けている。井川城主・小笠原信濃守は正平6年(1351)に社殿修造し、小笠原治郎大輔は永享7年(1435)に勅使殿を再建。武田信玄は天文年中(1523~55)に朱印地をよせ、深志城主・小笠原右近大輔は天正10年(1572)に灯明料1貫200文を寄進。慶安2年(1649)、徳川家光は朱印領10石と付属山林諸役免除の公文朱印状を寄進。明治5年、郷社へ列格。同27年、明治遥拝殿を創建。同33年、県社へ昇格。

分断された小野地区

「憑の里」または「頼母の里」とよばれ、もとは1つの集落だった辰野町小野と塩尻市北小野。現在のように二分されたのは、16世紀末のこと。

徳川家康の関東移封後、伊那郡は毛利秀頼、筑摩郡は石川康正が領した。天正19年(1591)、伊那郡小野郷の帰属をめぐって両者が対立。最終的に豊臣秀吉が裁定するところとなり、小野を南北に分けて南を毛利秀頼領、北を石川康正領とした。この分断が今日までつづいている。

なお、矢彦神社・小野神社ともに塩尻市内にあるが、矢彦神社の登記は辰野町になっているため、飛地のかっこう。

御柱祭
御柱祭

天武天皇2年(674)の新宮造営からつづく7年毎の式年祭。新宮造営に用いられた宮材は、木曽山林から出材されていたが、これは寿永元年(1182)、源義仲が木曽山林から宮材を伐り出して社殿造営をして以来の確例だという。江戸期、高遠藩は公役として人足500人を出したほか、騎馬隊を派遣して凱旋参拝させたといい、公儀からは祭料の寄進があった。宮材の下賜は昭和7年までつづき、昭和11年には巣山沢御料地を造営材供給備林として下賜されている。

参考文献 由緒掲示板、明治神社誌料、日本社寺大觀神社篇、全国神社名鑑、日本歴史地名体系、信州の[神社]百選
(フォト撮影日:平成18年10月14日)

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