大岩の北部、村山と接する箕輪地区に鎮座。詳しい縁起は知らないが、小泉久遠寺と深い繋がりがあることから、おそらくは同寺や檀家が法華守護の諸天善神として勧請したのだろう。
富士地域における八幡宮は「鎌倉武士云々」という縁起が通例ながら、当社に関しては手もとの史料乏しく、由緒や創建年月は詳らかでない。ただ、棟札・曼荼羅は多く残されており、それらから小泉久遠寺(日蓮宗本山)との深い結びつきがうかがえる。
古くは寛政3年(1791)9月15日に本殿を建立しており、棟札に「正八幡宮壱宇造営」とある。この時、久遠寺40世日承によって法華曼荼羅も納められ、裏面に「本化垂迹正八幡宮」と記されている。
続いて天保5年(1834)の法華曼荼羅がある。裏に「宗御影両尊 再興 施主檀中」「願主本承坊 日進」と記され、御影本尊を祀っていたことが分かる。同10年の棟札には「鎮守八幡宮本社屋根替」とあり、これは本承坊日依が納めた。同坊は久遠寺にあった塔中である。
棟札・曼荼羅はまだまだある。天保14年のそれには「奉開眼者也 大仏師中川原長沢梅之進金保 功徳主箕輪村佐野繁蔵」とあり、仏像奉納が記録されている。祖師像だろうか。
また明治6年4月に本社屋根を替えており、「鎮守八幡宮本社屋根替 久遠寺塔中本浄坊御中」。昭和7年の拝殿屋根替えの棟札にも題目が記され、屋根替えのきっかけは「拝殿屋根替 日蓮聖人六百五拾遠忌為記念」とある。
他文献に目を移すと、諸地誌の大岩村項に「八幡宮」(『駿河記』)、「八幡社」(『駿河志料』『皇國地誌』)が載る。ただ大岩地区には八幡が多いことから、どこの社を指しているのかは分からない。
明らかな記録としては、明治19年の『神社明細書』に「無格八幡宮 字箕輪千三百一番」と載る。あとは昭和初期の『富士郡神社銘鑑』があり、創建年月不詳、境内250坪、雨覆兼拝殿2間半×3間半、本殿2尺5寸×2尺2寸、例祭陰暦9月9日、崇敬者20名と所載。
箕輪は、富士宮駅から北東へおよそ3km。富士裾野の山手に位置している。辺りには林と宅地が共存した風景が広がっており、神社もヒノキ林を背負って鎮座。その神域はまことによく整備されており、しかも山林のほか植栽の緑も境内を彩り、雰囲気は申し分ない。
社頭風景
鳥居をくぐるときれいに刈り込まれた植栽の境内となり、奥の小高い石垣上に拝殿兼覆屋がたつ。木造の入母屋造だ。反りのきれいな屋根に瓦を葺き、木肌はほの黒く染まり、なかなか精悍なマスク。昭和35年建立と古くはないものの、より年月を経たような渋さがある。
本殿は寛政3年(1791)の建築らしい(外からは窺えない)。この時の棟札の子細は「由緒」で触れた。こけら葺きの一間社流造で、『富士宮市の伝統建築』掲載写真をみるとけっこう細身。蟇股に鳳凰、木鼻に獏の彫刻があり、中に神像が祀られている。
拝殿兼覆屋
拝殿後ろの林の中に石段がつづき、段上に石祠が2基祀られている。苔で濃緑に染まり、かなり古い印象。また大きい方の祠は石像を内蔵している。地蔵菩薩のようにみえるが、日蓮宗との結びつきをかんがみれば祖師像の可能性が高そうだ。
社殿後ろに石祠
石像を内臓