明星山大悟庵 観音堂
星山丘陵の中段にある観音堂。大悟庵、倭文神社と甍を並べている。古くから観音霊場として名高く、駿河一国、駿・豆両国、富士横道など複数の巡礼札所。尊主は大悟庵と同じ十一面観音で、3月中旬、裏手斜面で約30m×15mの白布に描いた観音を開帳する。
創建年月は不詳だが、江戸末期の『駿河志料』は
「倭文神社の右にあり、寺は左に有り、想ふに(大悟庵が)禅院とならざるさきも、此寺も(倭文神社の)社僧地にて(観音)堂は(倭文神社の)本地堂なりしなるべし、里人も然云へり」
と所載。元は倭文神社の本地堂だったのだろう、と紹介している。 ※()内はわたしの補足
倭文神社の祭神は「機織の神」であり、倭文神社は機織技術をもった職人集団・倭文部によって祀られた神社とされる。よって、開帳される布観音について昭和初期の『大宮町誌』は、「木綿布を以て之を作るは機織の祖神倭文神社に何等かの縁由あるに似たり」と記し、やはり倭文神社との関連性に着目している。
現在の御堂は桁行3間×梁間4間の木製入母屋造。建立時期は『大宮町誌』に延宝5年(1677)3月15日再建修補とあり、『富士宮市の伝統建築』は元禄14年(1701)とする。
垂木は二軒繋垂木、向拝と身舎は海老虹梁で接続。木鼻に獅子と象、手挟に亀、虹梁には菊花の彫刻をあしらっている。黒味を帯びた木肌は渋く、総体的に素朴。御堂前のいびつな石積みや古びた石灯籠ともども古色に染まり、趣あるたたずまいをみせる。
【駿河一国観音霊場27番】御詠歌「富士おろし 迷いの雲も ふき払う 月日とともに おがむ星山」。【駿河・伊豆両国横道観音霊場20番】。【富士横道観音霊場35番】御詠歌「天下る 星の光や よく経ても 消えぬ御法の ためしなるらん」。