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冨士浅間神社(須走浅間神社)

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名称冨士浅間神社ふじせんげんじんじゃ [通称:須走浅間神社すばしりせんげんじんじゃ
所在静岡県駿東郡小山町須走字日向126
主神木花開耶姫命配神大己貴命 彦火火出見命
創建伝:大同2年(807)例祭5月5日
社地4,395坪神紋大和桜
社格旧県社神徳安産・火難除ほか
備考世界文化遺産推薦の構成資産、「史跡富士山」の構成資産(国史跡)、社殿(町文)、ハルニレ(県天然)、根上がりモミ えぞやま桜(町天然)
交通JR御殿場駅より北西10km 駐車場有
  1. 由緒
  2. 境内概要
  3. 写真
  4. 末社
  5. 関連リンク・参考文献

須走口の起点に鎮座

富士山須走口(東口)登山道の起点に鎮座し、富士道者たちのあつい崇敬を受けてきた古社。かつては「下浅間」「弘法寺浅間」「東口浅間」などと称したが、こんにちは「東口本宮」を私称し、また地名から「須走浅間神社」と通称されている。

大和桜
  1. 創祀~中世
  2. 江戸期以降
1.創祀~中世
創祀

延暦21年(802)正月、富士山の東脚が噴火。長引く噴火を憂い、国司・郡司が須走に斎場を設けて鎮火祈念したところ、噴火活動は4月初申の日におさまった。この神徳に奉賽するため大同2年(807)、斎場跡地に社殿を造営した――と由緒は伝えている。

その一方、古くは「空海開闢」を唱え、「弘法寺浅間」とも称した。元禄3年(1690)12月の『指上ヶ由緒書之事』は「昔弘法大師(空海)御登山之節開闢被遊候由 依之弘法寺浅間ト申」と記しており、享保3年(1718)の再建棟札に「富士山弘法寺浅間」、同10年の棟札にも「富士山東口弘法寺浅間」と見える。

また社宝の紺地金泥大般若経や机も空海作と伝えている。

富士
須走からの富士
中世

須走口6合目から出土した大日如来二尊像縣仏に「至徳元年(1384)」「富士浅間大菩薩」の銘文がみえる。須走口登山道の成立時期は判然としないものの、室町初期には登山道(あるいはその原型)が整備されつつあったのだろう。

くだって『妙法寺記』の明応9年(1500)6月条に、「此年六月富士ヘ道者参ル事無限、関東乱ニヨリ須走ヘ皆々道者付」とあり、長享の乱の影響で富士登山者が甲斐国吉田口から須走口へ流れたことが述べられている。これが史料上、須走口の初見にあたる。このころには盛んに富士登山され、須走口は登山道のひとつとして重宝され、須走浅間神社は須走口の下宮として崇敬されていたに相違ない。

甲斐武田氏の崇敬

元亀2年(1571)4月21日、駿河国を奪った武田信玄が冨士御室浅間神社(山梨県・富士河口湖町)の神職に「駿州洲走之浅間之宮」および「同州岡宮社(沼津市・岡宮浅間神社)」の社務兼帯を与えている。これが須走浅間神社の史料上初見。

武田氏は天正3年(1575)2月24日、須走浅間神社の訴え(富士山の内院参銭や奉納物の不振)を聞き入れ、地子銭ほか5貫文を寄進。同5年5月には、内院参銭を「洲走浅間之宮」の修造費用に充てることを認可している。また社伝によれば、武田氏は天正年間(1573~92)、本殿・幣殿・拝殿などを再建したという。

武田氏からあつく庇護されたようすがうかがえ、また駿河を手にした武田氏が内院参銭など富士山中の権限も掌握したことが分かる。

2.江戸期以降
小田原藩主の崇敬

江戸期ははじめ沼津藩、のちに小田原藩主歴代から崇敬され、たびたび社殿の造営・修理がなされた。寛文3年(1663)小田原藩主・稲葉美濃守正則が本殿・幣殿・拝殿などを再建し、貞享2年(1685)には稲葉丹後守正往が楼門・鳥居・板橋などを修造している。

稲葉氏転封後に入封した大久保氏の崇敬は特にあつく、社殿修造など金銭面の助成のほか、毎年6月1日の山開きに代参使を立て、武運長久を祈るのを例としていた。

宝永大噴火

宝永4年(1707)11月、富士山が大噴火した(宝永大噴火)。至近の須走村は約1丈という砂降りの大被害を受け、民家をふくむ37戸が焼失し、その他の36戸や3寺院も砂降りで倒壊した。浅間神社も神主小野大和守宅が炎上し、神社そのものも大破。鳥居は半ば以上埋もれ、社殿はわずかに屋根がのぞく程度だったという。

正徳5年(1715)に寺社奉行へ再建を願い出たところ江戸市中での勧進を許され、享保3年(1718)9月に社殿再建が成った。この時、小田原藩主大久保加賀守忠方は苦しい藩財政のなか白銀10枚、槻20本、鳥居材木杉6本を寄進している。

社殿
享保3年(1718)再建の社殿を基に改修を重ねた現社殿
内院散銭および薬師堂

社領は除地など4石8斗3升6合(浅間免御除地7斗2升、屋敷御免地9斗1升8合、御年貢地3石1斗9升8合)を有し、朱印領はなかった。そのため神社運営は、富士道者の山役銭や富士山頂の内院散銭、薬師堂開帳日の賽銭などでまかなわれた。

江戸期、内院散銭の取得権利は富士山本宮浅間大社と須走浅間神社のみが有した(戦国期は村山興法寺)。取り分は争論の末、富士山本宮浅間大社6割、須走浅間神社4割と定められた。

また須走浅間神社は須走口・吉田口の頂上にある薬師堂(現・久須志神社)の開帳・閉扉および入仏の権限を持っていた。毎年6月12日、須走浅間神社神主小野大和守の管理下、須走香積寺の僧が開帳をとり行った。開帳日の賽銭は須走浅間神社の取り分であった。

富士山頂における権限

数ある浅間神社の中で、富士山頂における権限を有したのは富士山本宮浅間大社(8合目以上支配、内院散銭ほか)、村山興法寺(村山口および表大日堂支配)、そして須走浅間神社(裏薬師堂の開帳・閉扉・入仏、内院散銭)のみであった。

須走は富士山本宮浅間大社と内院散銭や山小屋経営などをめぐる利益衝突による争論を繰り返しつつ、山頂の維持・管理の一翼を担っていた。

古色蒼然とした森に包まれ

境域は古色蒼然とした森に包まれ、境内はきれいに掃き清められている。神域としての雰囲気はまことにすばらしい。鎮守の杜は「浅間の杜」と称され、杉の古木多く、またハルニレ(県天然)、根上りモミ(町天然)、えぞやまざくら(町天然)なども点在している。

太鼓橋を渡って「不二山」の扁額を掲げた鳥居をくぐり、楚々とした参道をゆくと楼門につく。宝永大噴火(1707)で大破後、明和4年(1767)ごろ再建されたらしい。屋根をのぞいて朱で塗られ、下層の左右に髄神1対を配し、上層に「國威震燿」の扁額を掲げている。

境内風景
表参道
楼門
楼門

楼門をくぐると正面に朱塗りの社殿が現れる。こちらも宝永噴火で壊れ、享保3年(1718)に再建された。それからいくどか改修を重ね、先ごろの保存修理工事でうつくしい色彩を回復した。各所を極彩色の彫刻(柿、鶴、獅子、象、孔雀など)が彩り、細部の金細工も美しい。

社殿
うつくしい社殿

社殿脇から裏参道に歩みをすすめると、沿道に富士講の講碑が林立している。麻布山三元講の碑が目立つ。33度や66度など登山成就に感謝して奉納された碑が多く、氏名や講名が刻まれている。裏参道から裏参道鳥居をぬけると、目の前に青い富士山が現れる。

富士講の講碑
富士講の講碑
境内風景
鳥居
鳥居
参道
参道
手水舎
手水舎
狛犬
狛犬
楼門
楼門
楼門扁額
楼門扁額
風景
境内風景
神馬
神馬
拝殿
拝殿
崇敬
崇敬あつめる
彫刻
蟇股の孔雀
本殿
本殿
遠景
社殿遠景
碑
富士講碑
信しげの滝
信しげの滝
根上がりモミ
根上がりモミ
ハルニレ
ハルニレ
保存修理
保存修理工事中(平成20年撮影)
仮殿
工事中の仮殿(平成20年撮影)

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(フォト最終撮影日:平成22年11月20日)
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