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島田大祭 帯まつり

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3年に1度ひらかれる島田大祭「帯まつり」が12日から14日、島田市で催された。大井神社の神輿渡御にしたがう大名行列や鹿島踊り(ともに県指定無形民俗文化財)、各地区が競いあう華やかな屋台踊りが、島田の中心街を彩った。

300年の伝統、華やかな元禄絵巻

島田大祭(帯まつり)は、島田の産土神である大井神社の大祭。寅・巳・申・亥年と、3年ごとに催されている。元禄8年(1695)に始まった旧社地への神輿渡御を起源とする伝統祭事で、神輿渡御に、大名行列、鹿島踊り、屋台などが連なり、華やかな元禄絵巻をくり広げる。大名行列の大奴が、木太刀に絢爛な丸帯をたらして練り歩くことから「帯まつり」とも称され、日本三奇祭のひとつとして広く知られる。

運営組織は、7つの「街(がい)」と元宮、新組の計9つで構成。それぞれ決められた役割を担当している。1~5街は屋台、6街は鹿島踊り、7街は大名行列を担い、元宮は御神輿の受け入れ、新組は神輿渡御関連を受けもつ。

各街には、運営の中心を担う青年本部(40歳以下)と、それを補佐する祭典本部・中老本部(40歳以上)が置かれる。各青年本部は練られたスケジュールをもとに、余興の進行などで頻繁に調整を重ね、運営していく。

初日・2日目は「1町内につき1催物」の規則があり、同一町内に重複することは禁じられている。そのため、屋台5基、鹿島踊り、大名行列は各町に散らばって練行し、他町へ移るさいは、各催物が同時に境界線を越える。

神輿渡御が行われる最終日はこの縛りから解かれる。早朝、大井神社へ一堂に会すると、大名行列→神輿→鹿島踊り→屋台の順で、約1,700m離れた旧社地(御旅所)を目指す。途中、洪水で流されてきた大井神社の御神体をすくい上げた杉村家に立ち寄る「中饌祭」を経、昼すぎに御旅所へ到着。夕刻、大井神社へ還御した。

帯まつりと帯

かつて他所から島田へ嫁いだ花嫁は、晴れ着姿で大井神社に詣で、氏子入りの報告と安産祈願をしたのち、町内にお披露目した。しかし、宿場の発展にともなう戸数の増加でお披露目が困難となったため、かわりに帯を大井神社へ奉納。大祭時、その帯を神輿の警護役である大奴の大太刀に垂らし、町内へ披露するようになったとされる。

境内
大祭中の大井神社参道
境内
大祭中の大井神社拝殿
お旅所
普段の御旅所
お旅所
大祭中の御旅所
大榊
神輿渡御・大榊
神職
神輿渡御・大麻神職
稚児
神輿渡御・稚児行列
稚児
神輿渡御・稚児行列
天狗
神輿渡御・猿田彦
神輿
神輿渡御
神輿
神輿が御旅所に到着

屋台(第一街~五街)

屋台は、18世紀中ごろから加わったと考えられている。一街~五街の計5基が出され、迫力ある「屋台のすれ違い」や華やかな「地踊り・上踊り」が見どころ。

初日・2日目は「1町内につき1催物」の規則があるため、催物が他町へ移動するさいは、皆が同時に境界線を越えなければならない。このとき、屋台が境界線をはさんで向かい合うことがあり、「屋台のすれ違い」が行われる。屋台をぎりぎりまで接近させ、屋根に乗った青年たちが大声で威嚇し合い、移動の時間となるや、屋台を一気に引いてすれ違う。迫力あるさまに、観客から大きな歓声と拍手が送られていた。

屋台下では、そろいの法被に身を包んだ人々が扇などをもって踊る「地踊り」、屋台上では、囃子・長唄にのって町内の子どもが典雅に踊る「上踊り」を披露。

「上踊り」の踊子は、芸人に稽古をつけてもらった5~8歳の男女児。大勢の観客にかこまれた大舞台でも怯むことなく、ときに愛らしく、堂々と演じた。演目は各屋台につき3~4曲。一流芸人による三味線・太鼓・長唄はもちろん、はなやかな衣裳や引抜(早代わり)など見どころは多く、どの屋台も人だかりの山となった。

屋台
屋台
屋台
屋台
地踊り
地踊り
地踊り
地踊り
上踊り
上踊り「藤娘」
上踊り
上踊り「雨の五郎」
上踊り
上踊り「男舞」
上踊り
上踊り
上踊り
上踊り「秋の色種」
上踊り
上踊り「藤音頭」
上踊り
上踊り「四季の詠」

鹿島踊り(第六街)

延宝年間(1673~81)島田に疫病が流行したため、疫病退散を祈って春日神社を勧請し、踊りを奉納したことに始まる。元禄8年(1695)から、大井神社の神輿渡御に加わるようになった。鹿島踊りは、房総から伊豆にかけて多く伝わるが、島田の踊りは田楽芸能などが混ざった複合芸能で、様相は異なるという。三番叟が木綿たすきをかけないと踊り始めないなど、古式を残す芸能であり、昭和32年に県無形民俗文化財に指定された。

一行の先頭に立つのは御鏡持の白丁。その後ろに「三番叟」1人、「お鏡」1人、「鼓」・「ささら」各3人の合計8人で1組をつくり、2組が並んで行進する。後尾につづく囃子方は、笛12人、鉦3人、小太鼓3人、大太鼓1人。格調高い音色にのり、三番叟は「ヨーイ ヨーイ ソレサ ハ サ ハ サノサー」、鼓・ささらは「ヨーイ ヨーイ ソーンライ サノサー」と発しながら、4者4様の踊りをみせた。

三番叟は烏帽子に狩衣姿で木綿たすきをかけ、左手に扇、右手に鈴をもつ。後ろ向き姿勢が長く、中腰になったり、腕をひろげて片足をあげる動作を見せる。

お鏡は大黒頭巾に広袖衣裳、左手~左肩に鏡をかつぎ、右手に鈴をもつ。立ち姿勢・横向き動作が多く、腕をひろげて片足をあげるほか、両手をつきだしたりする。

鼓・ささらは大黒頭巾、広袖に紅の指貫のいでだち。鼓は左手に鼓をもち、天地を見るような上下の動きと、鼓を打つまねをする。ささらは左手に棒、右手にささらをもち、片足で飛びはねるような子気味良い動きをみせる。

白丁
先頭に白丁
三番叟
三番叟
お鏡
三番叟とお鏡
お鏡
お鏡
鼓
ささら
ささら
囃方
囃方
御旅所
御旅所に到着

大名行列(第七街)

幟を先頭に、お先触(拍子木)、お長柄、具足、持筒、槍持・片箱各、先騎、赤鉄砲、黒鉄砲、御弓、具足、持筒、槍持・片箱、先騎、大奴、挟箱、立傘・台傘、大鳥毛、赫熊・白熊、徒士、具足、台弓、打物、お鷹、餌差、持筒、笠、草履、床几、唄方、徒士、殿様、台傘、槍持、挟箱、葛籠馬とつづく、10万石格式の大名行列。

全体的に静々と行進するものの、豪華絢爛な丸帯と奇抜ないでたちの「大奴」、独特の掛け声と躍動感あふれるアクションの「道具廻り(挟箱、立傘、台傘、大鳥毛、赫熊、白熊)」など、多様性があって飽きさせない。

大名行列がいつごろから参加するようになったかは詳らかでないものの、もとは「大名行列」でなく「殿」と称されていたという。記録によると、寛政6年(1794)に島田代官所が駿府紺屋町へ移されたため、享和3年(1803)からは代官に代わって名家の子どもが大名役を担うようになったとあり、幕末の記録には、いまとほとんど変わらない行列のすがたが描かれている。平成8年、県無形民俗文化財に指定。

『島田町誌』による行列の詳細は、長柄の袋槍10本、先騎1人(名家の子息。口取2人、付添1人)、釣具足1荷、赤色色小鉄砲20人、鷹持4人、黒天包大鉄砲10人、先騎1人(名家の子息。口取2人、付添1人)、弓10人、先騎1人(名家の子息。口取2人、付添1人)、大奴25人、挟箱2差(手換2人、用意手換4人)、黒袋入峯傘1本(手換1人、用意手換2人)、同立傘1本(手換1人、用意手換2人)、大鳥毛1本(手換1人、用意手換2人)、赫熊2本(手換1人、用意手換4人)、徒士20人、草履取1人、笠持1人、床几持1人、弓1挺、黒覆輪の長刀、釣具足1荷、先騎1人(口取2人、付添1人)、具足1差、小五呂節16人、殿(名家の子息12~3歳のもの。口取付添10人)、挟箱1差、槍1本。

大名行列の花形「大奴」。いまは行列と一体化しているが、もとは区別されていたようだ。江戸後期の『駿河記』によると、元禄年間は山伏に仮装させた者を出しており、のちに大名行列が始まると、その一部と見なされるようになったとある。『駿河志料』にも同様の記述がみられ、山伏の数を12人と記す。

『駿河記』にみえる大奴の装束は、「全躰身に半纏を着し6尺許なる木の大小を帯び 下緒は婦女の大帯を2筋下げたり 下帯どんすの類 角力取のごとしなり 頭は67分許に月代の毛をはやし 雨鬚を出し茶煎髪に結ひ作り髭をなす ももりに楊枝をさす 首に女子のしごきをまとひて振衣の如し 腰に印籠をつけ後にふり出しのきせる筒をさげ女扇をさす」。

先頭
大名行列。先頭に幟
赤鉄砲
赤鉄砲
黒鉄砲
黒鉄砲
挟箱
挟箱
先騎
先騎
葛籠馬
葛籠馬
挟箱
挟箱
大鳥毛
大鳥毛
大奴
大奴
大奴
大奴の一団
大奴
大奴
大奴
大奴
大奴
大奴
大奴
御旅所に到着
大奴
御旅所に到着
参考文献 境内掲示板、公式リーフレット、島田大祭パンフレット、東海道名所図会、駿河記、駿河志料、駿國雑志、明治神社誌料、静岡県志太郡誌、静岡縣神社志、静岡縣神社要覧、日本社寺大觀神社篇、島田市史、全国神社名鑑、大井川-その風土と文化-、日本の神々 神社と聖地10、角川日本地名大辞典、日本歴史地名体系、東海道と祭り、祭礼行事・静岡県、静岡県の祭ごよみ、静岡県の民俗芸能と伝統音楽

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- 2013年10月09日 20:18

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