鈴川 木之元神社
![]() 鉄筋コンクリート製の大きな拝殿 |
名 称 木之元神社
所 在 静岡県富士市鈴川東町1-29
主 神 木元神
配 神 天照大神 牛頭天王
創 建 不詳 例 祭 10月19日
敷 地 420坪 神 紋 三巴
社 格 旧村社 石 造
備 考 ムクロジ(市天然記念物) 神 徳 井戸神、新生児守護ほか
境 内 稲荷神社(宇迦之御魂神) 子安神社(子安神) 水神
交 通 JR・岳南鉄道各吉原駅より徒歩2分 駐車場有
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鈴川の産土神
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東向きの表参道 |
田子の浦港の東岸・鈴川は、吉原宿の前身「見付」があった場所。中世まで田子の浦港の対岸まで渡船が営まれ、商人や富士道者の休憩・宿泊所、倉庫基地として栄えた交通の要衝だ。そんな鈴川の産土神が、字砂山鎮座の木之元神社である。
祭神は木元神。江戸期の地誌『駿河志料』は、水神・泣沢女神のことと記す。曰く、「鈴川・今井付近を香具山と呼ぶのは、大和国香具山に見立てたから。今井鎮座の香具山明神社は、大和国香具山麓の畝尾都多本神社(祭神泣沢女神)を勧請したと思われる。鈴川の木元神社も同神だろう」――。また同書は、木之元神社を『駿河国神名帳』に見える「正五位下 富士河天神」にあてている。
慶長16年(1611)、隣接地に保泉寺が開創されると、同寺で祀られるようになった。のちに保泉寺は中吉原へ移ったが、地主神である当社は地元民の要望で残され、分霊が中吉原に祀られた。これが中央町木元神社の創始と伝えられる。なお、江戸期は「木元権現」「木下大権現」「木本白龍大権現」などと著され、現社号に改められたのは、権現号が廃止された明治初期のこと。
神域は吉原駅の東100m。砂山の高台に鎮座。境内から北を眺めると、眼下に東海道線と旧東海道が通り、遠くに富士山を仰ぐ。東向きの階段を上がって鳥居をくぐると、右手に市天然記念物の御神木(ムクロジ)がたち、正面に本殿・拝殿・境内社。現在の本殿は、昭和5年再建の木造神明造り。大ぶりな拝殿は、鉄筋コンクリート製の入母屋造りだ。
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そばの大昭和製紙 (現日本製紙)奉納 |
境内からの風景 線路、そして富士山 |
享保3年(1718) 「木下大権現」銘 |
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境内風景 | 本殿。外削ぎ千木、堅魚木6本 |
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稲荷神社 | 子安神社 | 井戸守護の水神祠 |
参考文献 境内石碑、駿河記、修訂駿河国新風土記、駿河志料、誌編集資料 元吉原村誌、富士郡神社銘鑑、富士市の神社、鈴川の歴史、吉原宿周辺史跡案内、「日本の女神様」がよくわかる本、八百万の神々、日本神祇由来辞典、日本神名辞典、角川日本地名大辞典、日本歴史地名体系 |
(フォト撮影日:平成18年9月23日、21年2月1日) |
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